規則どおり、私は六年間忍術学園に在籍し、無事くのいちとして忍術学園を卒業した。
否。ただ"無事"と言ってしまうと、語弊があるかもしれない。多少の紆余曲折はあれど、無事くのいちとして忍術学園を卒業した。
紆余曲折、その理由は、私の恋仲である鉢屋三郎。その男のせいに尽きる。
まず、大元は五年生への進級時だ。四年生の時既に私はくのいちクラスに在籍していたのに、五年生の私に組み分けられたクラスは行儀見習いだった。
どういうことか、とシナ先生に確認すると。確かに先生に提出されていた、烏丸皐月名義の行儀見習いクラスへの転向届け。
しかし私はそんなもの提出した覚えも、書いた覚えもない。つまりは偽書の術。そして首謀者は、問い質せばすぐに吐いたが、鉢屋三郎だった。
その頃既に、私と三郎は恋仲であった。そんな奴の言い分はこうだ。"五年からは色の実習も本格的になるから嫌だった"。子供か、と率直に思った。
すぐさまシナ先生に訂正の旨を告げようかと思ったが、ふと思い留まる。
行儀見習いクラスに戻ったことにより、私の今学期からの同室は久遠寺菫に戻るそうだ。
四年生時は、菫と組が分かれたので、私達はそれぞれ一人部屋だった。一人部屋は気楽ではあるが、やはり、菫との同室の方が楽しかったと思ったことは数知れず。
それに、素直に言ってしまえば。私を出し抜き、多少気付かれていた部分もあるだろうが先生方までもを騙した鉢屋の腕に、感服したこと。
そしてなにより三郎の子供じみた、この行動が。可愛かったので、いとおしかったので、私は行儀見習いクラスへの転向を受け入れたのだった。
しかし、くのいちを志すことをやめたわけではない。やめるはずがない。私はくのいちになるため、烏丸の家に生まれたのだから。
行儀見習いクラス所属とは名ばかりで、私はほとんどの授業をくのいちクラスで受けていた。そういった授業の受け方を、学園側も認めていた。
"意味がないじゃないか"と三郎は嘆いていたが、それ以上の行動を、奴も起こさなかった。件の偽書の術以外、三郎は、私の邪魔をしなかった。
戦場に向かう実習では、そのたびに直前、何度も私の無事を願う言葉をかけてくれた。学園に無理やり置いていくことは、しなかった。
閨の実習で他の男に抱かれることも、悔しい嫌だと騒いでいたが、結局は黙認した。実習の場へ向かう私を無理やり引き止めることは、しなかった。
忍として、くのいちとして、忍術学園を卒業するために必要不可欠な授業や実習を、そうやって私は無事全て受けることができたのだ。
三郎が次に行動を起こしたのは、忍たまもくのたまも全ての必修授業が終わり、あとは本格的に就職活動に精を出す、春の気配を感じはじめた晩冬。
私は忍の家に生まれ、烏丸の家そのものに仕える身だ。だから幸い、就職活動は必要とせず、あとは卒業までの日々を過ごすだけとなった。
なった、はずだったのだが。早々に、評判のよい城への就職を決めた不破雷蔵。それに当然のように合わせた三郎から、まさかの誘いを受けた。
"俺と共に来ないか"と、卒業後、共に暮らすことを提案されたのだ。"烏丸などにお前を渡したくはない"と、失礼なことまで言ってくれた。
私が、明言したことはなかったが。だけど、忍の世界での噂や、勘のいい三郎のことだ。私の実家での扱いに、気付く部分が、あったのだろう。
"ここまでしっかりくのいちとして卒業する準備をして、まさか男と逃げるなんて、お前の実家も思わないだろう"と、憎たらしく、だけど真剣な瞳で、三郎は笑う。
さすが頭が回ると思った。素直に感心した。そして同じく、素直に、三郎の言葉が嬉しかった。だけど、すぐに頷くことはできなかった。
確かに、実家での扱いはよくなかった。父には結局愛されず、認められることはなかった。けれど私はやはり、烏丸の人間なのだ。
それなのに、三郎は笑う。寂しそうに笑う。壊れ物でも扱うかのように、そっと私を抱きしめて、"お願いだ"と、震えた声で笑う。
ひどい男だと思った。本当に、ひどい男だと思った。ひどくて、ずるくて、そして愛おしい男だと、思った。
私が一番ではないくせに。一番は他の者のくせに。それなのに、そうやって心から、私と共に生きることを望む。そんなひどい話があるだろうか。
そう、わかっているのに。私は断れなかった。三郎を振り払えなかった。
烏丸の家を捨てても、三郎の一番でなくとも、これからも一番には、なれずとも。
私も三郎と生きたかった。鉢屋三郎という、焦がれてやまない愛おしいその人と、私も共に生きていきたかった。
そうやって紆余曲折はあれど、私達は無事、忍とくのいちとして、忍術学園を卒業した。
そして、こちらは無事と言っていいのか分からないが。烏丸からも、無事、逃げることができた。
実のところ三郎も鉢屋の家から逃げた形になるのだが、"誰も気にしていないよ"と、少しだけ寂しそうに笑い捨てた。
卒業後は、三郎と雷蔵が同じ城に仕え、卒業と同時に雷蔵と私の友人の久遠寺菫が結婚したことも踏まえ、私と三郎、雷蔵と菫で、それぞれ隣の長屋で暮らすことになった。
私と三郎は、結婚はしなかった。子も、できないよう、きちんと配慮していた。
子はともかく、結婚の方は、三郎はしたいようであったが。それだけは、私は譲らなかった。頷かなかった。
一番ではないのに、結婚なんてしてやるものか。そんな、私の最後の、呆れた寂しい意地だった。
共に生きていられるだけで、私は幸せだったのだ。相変わらず、三郎の一番は、私でなくとも。
三郎だって結婚を断るたびに口を尖らせたが、結局は、幸せだったのだろう。私と共に生き、そして雷蔵とも共に生きているのだから。
十七の時に、雷蔵と菫の間に子供が生まれた。雷蔵によく似た、愛らしい男の子だった。
この二人の仲をいつだって邪魔し、菫をよく思っていない三郎であったが、さすがにそのときは素直に祝福していた。
思い返せば、この頃までだっただろうか。私たちの周囲が、安寧であったのは。
思い返せば、確かに、この頃から。三郎と雷蔵が仕える城は、わずかに、だけどじりじりと、その身を危うくしていた。
忍術学園をくのいちクラスの人間として卒業したものの。私はまことの忍ではなかった、くのいちとして働いてはいなかった。
ましてや、三郎や雷蔵たちと共に城に仕えるくのいちでもない。だから、見ていることしかできなかったのだ。
春は、徐々に、焦りを抱いていく三郎の姿を。
夏は、徐々に、苛立ちを覚えていく三郎の姿を。
秋は、徐々に、決意を固めたのだろう三郎の姿を。
だから、知っていた。私も覚悟していた。忍務の内容は、家族にすら伝えない。だから三郎の家族ですらない私が、その内を知るはずがない。
だけど、もう、いやでも周囲に広まっていたから。"あの城は、もうだめだろう"と、商人や村人すらが、噂していたから。
だから知っていた。三郎が、落ちる城と共に死ぬ覚悟を決めたのだと、知っていた。
否、正しくは。城と共に死ぬ覚悟を決めた、雷蔵と。三郎も共に、死ぬ覚悟をしたのだと。
ほらね。お前は私に永遠を誓えない。だけどそうやって雷蔵には、永遠を誓えるじゃないか。
私と共に生きたいと望んではくれたけれど。実際、共に生きて、そして共に死ぬのは、雷蔵じゃないか。
だから知っていた。まさに二人が仕える城が落ちる寸前、とある日の、十八の冬の夜に。
"これから向かう忍務、それから帰ってくることはないだろう"と、三郎から告げられることも。
知っていた、けれど。覚悟していた、けれど、
「お前は、生きろ。久遠寺と、その子供と、共に。それならばお前も、これから先、幸せに生きられるだろう」
このようなことを言われる覚悟は、していなかった。
そう振舞ってきた。このようなことを言われるだけの振る舞いを、してきた。
菫が大事だと、一番大事だと、何度も何度も何度も何度も、三郎に言った。言い聞かせた。
だけど、それは。嘘だったのに。強がりだったのに。お前を、安心させるための。お前に、合わせるための。ただの、ちっぽけな、寂しい嘘だったのに。
菫とは生きていけない。菫と生きていても、私は幸せになれない。
私はずっと、三郎と生きていきたかった。三郎に愛されたかった。三郎に、選ばれたかった。
鉢屋三郎という人間に惹かれたその瞬間から、ただそれだけを、願ってきたのに。
お前は、ただの一度も叶えてくれず、そんなひどいこと言う。
「嘘だよ、三郎」
「…………なにが?」
「全部、嘘だよ、三郎」
「……皐月?」
途端、視界がやけに歪んだことに気付いた。遅れて、頬を伝う冷たいものに気付く。
それによって、私は泣いているのだと悟った。泣くなんて、いつ以来だろう。在学中、友人が、亡くなったとき以来だろうか。
そうか。私は泣いているのか。泣くほど、辛かったのか。泣くほど、この男を愛するのは、辛かった?
「全部だよ、三郎」
「…………」
「菫が一番大事だなんて、嘘だよ。菫のことは大事だよ、それこそ友人のなかではきっと、一番大事だ」
「………………」
「でもお前のことだって大事だ。お前だって一番大事だ。お前が、一番大事だった。ずっと、ずっと、私のなかの一番は、お前だった」
「……………………」
「だけどお前の一番は、雷蔵だから。だから、合わせたんだよ。だって、悔しかったんだ、寂しかったんだ、…………どうしようも、なかった」
「…………………………」
「お前が、雷蔵を一番に思っていることも。雷蔵に、色の実習を手伝わせたりすることも。そうやって、そういうの、全部、全部、」
「………………………………」
「全部いやだったんだよ、三郎」
この、汚く醜い、本心を。哀れで惨めな、本音を。
こうやって三郎本人にぶつける日がくるなど、思ってもいなかった。
そうするつもりなんてなかった。私にだって矜持がある、意地がある。
この寂しい想いは、飲み込んで、噛み砕いて、私のなかだけで殺していくつもりだったのに。
「…………ねえ、三郎」
「……な、んだ?」
「殺してくれ。お前が死ぬ前に、私を殺してくれ」
「…………っ」
「私なんかでは、ろくな傷にもならないだろうが。せめて最後に、お前の心に、傷をつけさせてほしい」
見るからに、狼狽している三郎。見るからに、戸惑っている三郎。見るからに、泣き出しそうに歪んだ表情をしている三郎。
私だ。私が、こうしてやった。私が、こうさせてやることができた。それがどんなに、嬉しいだろう。
ごめんね、三郎。こんな女で。こんなどうしようもない女で。
女を見る目がなかったと、どうか自分を責めておくれ。
ねえ、三郎。首を横振るけど、知っているよ。何も言わず、一歩近付けば、お前も一歩、下がるけれど。
知っているよ。知っているよ。ずっとお前を見ていた。ずっとお前を愛していた。
お前なりに、私を愛してくれていたことを、知っているから。
だから、お前が私を、その愛をもって殺してくれるって。知ってるよ。
だからほら、お前が無言で静かに構えた忍刀は、こんなにも見事、私の心臓をひとつきだ。
「…………おじょうず」
「………………いつから?」
「さいしょから」
「…………」
「さいしょからずっと、おまえだけだった」
「………………」
「おまえに、いちばんに、あいされたかった」
忍刀を引き抜き、胸から血が勢いよく噴き出ているというのに、それに構わず三郎は正面から私を抱きしめる。
いくら、黒の忍装束を着ているとは言え。血で汚れてしまうだろうに。忍務に支障が、でるだろうに。
ああ、だけど、いいのか。忍務なんて、名ばかりだ。
三郎は、ただ城と共に、落ちにゆくのだ。雷蔵と共に、死ににゆくのだ。
いつだってそうやって、私は置いてきぼり。だからせめて、私が息絶える瞬間までは、そばにいてほしい。
けれど、私からは三郎を抱き返せなかった。腕がぴくりとも動かなかった。
三郎は、まるで私のそんな心情がわかっているかのように、さらに強く、私を抱きしめた。
「お前は、男を見る目が、ないな」
「……………………」
「もしも再び、人を愛すことがあるのなら。もう二度と、俺のようなひどい男を、好きになるなよ」
「………………」
「雷蔵のような、まっとうに穏やかに、女を愛せる男を、好きになれよ」
「…………」
もう、何も言えなかった。唇が動かなかった。
だから、三郎は好きなことを言い放題。勝手なことを言い放題。寂しいことを、言い放題。
私が目までもを開けていられず、閉じてしまう直前。
三郎は少し身を退き、私の額に、口付けを落としてくれたけれど。
それが、雷蔵の顔だったのだから。雷蔵を好きになれと言ったその口で、雷蔵の顔で、口付けをするのだから。
ひどい話だね。どうしようもない。
私は、お前が好きだったのに。鉢屋三郎が、好きだったのに。
最後の最期で、その本人から、それを拒絶されてしまったようじゃないか。
だけど、いいよ。三郎。お前はこうやって、私の最後の望みを、かなえてくれたから。
私を殺してくれたから、私もお前の望みを、かなえてあげる。
もう二度と、好かれたくないだろう。もう二度と、こんな醜く、惨めで、愚かな女などに。
好かれたくはないだろう。再び好かれることがあるのなら、それはあまりにも、お前がかわいそうだから。