私が好いた鉢屋三郎という男は、複雑で、だけど真っ直ぐで、けれどやはりいびつな男だった。
そのような性質に、私は惹かれたと言っても間違いではない。
皮肉めいていて、憎たらしい笑みを浮かべて、いつだって飄々としているくせに、変装術に関しては真摯で、どこか不器用な部分があるところが、どうにも愛おしかった。
だけど、ひとつだけいただけない部分があった。ひとつだけ、鉢屋三郎という人間の歪んだ面で、恨めしい部分があった。
奴は、上手に他人を愛せなかった。他人を好くことが殊更下手であった。好意の形は違えど、複数人の者を同時に深く愛すということが、できない男であった。
鉢屋三郎の、とても狭い、てのひら。たったひとりしか入ることができない、彼がまっとうに愛せる、その掌中に、私は入ることができなかった。
取りこぼされた。選んではもらえなかった。そもそも、私という人間が、選択肢に入っていたのかどうかすら、危うい。
それに気付いたのはいつのことだっただろう。本格的に気付いたのは、勿論、恋仲になってからではあるが。
思い返せば、その片鱗は、その危うさは、ずっと前から知っていた気がする。

三郎は、顔こそ広いが友人はそう多くない。奴自身のなかで友人と認められているのは、いつもつるんでいる四人くらいであろう。
そのなかの一人。学園入学以来の奴の同室であり、そして一番の友である、不破雷蔵。
その不破雷蔵のことを、鉢屋三郎は、好いていた。一番に好いていた。それが、絶対の事実であった。
好意の形が、恋情であれ、友情であれ、親愛であれ、家族愛であれ。どうやら三郎は、それを全てひとくくりにしてしまうらしい。
そしてそのなかで順位付けをして、一番になった者を、名のとおり一番に愛するらしい。
らしい、と曖昧なのは。そのことを鉢屋三郎から直接聞いていないからだが、けして間違ってもいないだろうと思う。
まず第一に、四人の友人たちのなかでは、確実に不破雷蔵が三郎のなかでは一番だ。
不破雷蔵の頼みならば、なんだって断らない。竹谷八左ヱ門が何か頼もうものなら、自分でやれと一蹴するくせに。
不破雷蔵が悩んでいても、ほほえましく見守っている。久々知兵助が何か迷おうものなら、頭が固いとからかうくせに。
不破雷蔵が怒ったならば、すぐさま自分の非に関わらず謝る。尾浜勘右衛門が何か怒れば、自分のせいでもなくとも、火に油を注ぐような真似をするくせに。
このように友人たちのなかで、不破雷蔵が三郎のなかで一番であることは明らかだ。
数少ない、懐いている先輩方や。同じく数少ない、可愛がってる後輩達と比べても、やはり不破雷蔵に軍配があがるだろう。
では、私はどうだ?鉢屋三郎と恋仲であり、鉢屋三郎が"唯一の女"と称してくれる、この私はどうだ?
答えは簡単。前述と同じだ。また、不破雷蔵に軍配があがる。ただそれだけ。
三郎本人に直接、雷蔵の方が好きだとか、雷蔵の方が大事だとか。そういう類のことを言われたわけではない。
だけど、わかるよ。わかるさ。自分の扱いだ。いやでもわかってしまうよ。ただでさえ、好いた男が、相手なのだから。

私と不破雷蔵が仲良くしていれば、三郎は喜ぶ。別に、嫉妬してほしいとは、言わないが。
一度冗談で"雷蔵"と不破雷蔵を名で呼べば、なぜか三郎がとても喜んだ。それは少し、複雑であった。
それからずっと、不破雷蔵を名で呼んでいるのだから、私も私でおかしいのだけど。
また、くのいち教室の実習で忍たまとの口付けを課せられた際には、三郎は姿の見えない私を雷蔵も巻き込んで探し始めた。
私を最初に見つけたのは、雷蔵の方であったが。"僕が先に見つけたなら、口付けしてやってくれなんて言うんだよ"と、雷蔵は困り果てていた。
三郎が私を探してくれたのは、私が他の忍たまで実習を済ませてしまわないか、危惧したからであろう。
他の男との口付けは許さない。そうやって邪魔をしようとする。けれど、雷蔵との口付けならば、三郎は許容する。
学園でも閨の実習があると知れば、"俺が皐月の相手になりたい"とは言ってくれる。けれど続けて、"俺が無理ならばせめて雷蔵に当たってほしい"と真顔で呟く。
他にも、程度の差はあれど、似たようなことが、山ほど。数え切れないくらい、たくさん、たくさん。
ひとつひとつは、大したことはないのかもしれない。けれど、塵積もれば、笑ってもいられない。少なくとも、私はもう、笑えない。
女のなかでならば、私が一番好かれているだろうという、自負はある。
そう自惚れてしまうくらい、三郎は二人きりの時に私を愛してくれるし、他の男にだって嫉妬心をむきだしにする。
けれど、雷蔵が出てきてしまえば。途端、だめだ。だめになってしまう。私は雷蔵よりも、愛されることはない。

"愛されたことも、愛したこともなかった"と、いつだか鉢屋三郎が語ったことがある。
父の愛は長兄に向けられ、母の愛は次兄に向けられ、三男である自分は、誰にも愛されなかったと。
村の人間にも、奇異な目で見られるばかりであったと。だから自分も、誰も愛さなかったのだと。
そんな、寂しい生い立ちが、鉢屋三郎の不器用な他者への愛し方に、関係しているのかもしれない。
私と恋仲になったとき、既に。いいや、私と三郎が、初めて顔を合わせた、その頃から。鉢屋三郎は、不破雷蔵と友人であったと記憶している。
不破雷蔵が、初めてだったのだろうか。好意的な感情を向けられたのも、好意的な感情を抱いたのも、三郎にとって、不破雷蔵が、初めてだったのか。
だから、不破雷蔵は、鉢屋三郎の一番で、特別になり得たのだろうか。

私も、父には愛されなかった。けれど母には、弟にも、愛された。
だから幸い、多少なりともまともに他人を想うことができているはずだ。
家族を慕っている、鉢屋三郎を愛している、友人たちのことだって、とても大事に思っている。
特に、下級生の頃はずっと同室であった、久遠寺菫。純で、穏やかで、優しい彼女のことは、とても愛らしく、守りたいと思っている。
だけど、私は三郎と菫を比べない。並べない。それぞれ別の感情で、別の想いで、愛しているからだ。
きっとそれと同じことを、鉢屋三郎が、できなかっただけの話。そんな鉢屋三郎のなかで、私が一番になれなかっただけの話。
けれど、あまりにもそれは、悔しすぎるから、惨めすぎるから、寂しすぎるから――――――私はいつからかほんの少しだけ、嘘をつくようになった。
"菫が一番大事だ"と、鉢屋三郎にときおり、嘯くようになった。
友人である不破雷蔵を一番大事に思っている、鉢屋三郎に。私も友人である久遠寺菫が一番大事だと、合わせるようになった。
本当に大事な友人である菫まで勝手に巻き込んで、卑劣で醜悪な行為だとは、重々承知している。
だけど、そうでもしないと、悔しすぎた。惨めすぎた。寂しすぎた。
そして、"そう冷たいことを言ってくれるな皐月"と、いつだって決まって私に拗ねて、困ったそぶりをする、三郎の、瞳に。
安堵に似た感情をいつからか確かに見つけて、私こそが、それに、安堵し、そして落胆したのだ。

不破雷蔵が一番であることを。私と雷蔵を比べると、雷蔵に軍配があがることを。
そのような自身の思いを、感情から出る行動を、鉢屋三郎は自覚していないのではと、思ったこともある。
けれどそれは杞憂だった。当然だった、鉢屋三郎は基本、器用な男なのだ。自分自身の感情に、気付かないはずがない。
自分の一番が不破雷蔵であることを、いつからか、彼は知っていた。
烏丸皐月という女が自分の一番ではないことを、いつからか、彼は知っていた。
だから安堵するのだ。私に、自分が一番ではないと言われて。
それは、自分が一番に想えない私に、自身に一番に想われていない私に、思うところがある証拠に他ならない。
自分自身を責めているのか。それとも私を、哀れんでいるのか。
誰が私を、こんなに哀れで寂しい、醜い女にしたというのか。それを鉢屋三郎自身が、知らないはずもないくせに。


「お前はすぐ、私を抱こうとする」

久しぶりに三郎の部屋で二人きりになったというのに、会話も早々に腰を引き寄せられ、当然のように衿を割って手が入ってきた。
とりあえず、腰を抱いたままの手をつねってやるが、つねられた張本人はどこふく風の様子だ。
それどころか、わざと高い音を立てて額に口付けを落とされた。その間も、三郎の右手は私の胸元をまさぐる。

「間を置きすぎているというわけでも、ないと思うんだが」
「十四の男なんて、毎日でもできるよ」
「他の健全な男達をお前と一緒にしてやるな」
「好きな女を前に盛るのは、不健全とでも?」
「そうは言っていない。あげあしとりを」

めいっぱい力を入れて爪も立てて本格的につねってやれば、ようやく三郎は引きつった悲鳴をもらし、胸に触れる手を止めた。
だけどもう一度、額に口付けを落とされる。まるでねだられているようだと思った。事実、そのつもりの口付けなのだろう。
別に、完全に拒否しているわけではない。三郎の部屋でふたりきりになった時点で、ある程度は想定のうえだ。
それに、そういった行為だけが目的でも。私の身体だけが目的でも、いいんだよ、もう、私は。
お前が素顔を見せて私を抱いてくれるのなら。そうやって抱くのが、私だけだと言うのなら。
私は別に、身体だけでもいいんだよ。いっそのこと、素顔を見せてくれなくてもいい。
身体だけでもいいんだよ。だけどそうではなく、確かに私自身のことを愛してくれているのだから、この男は厄介だ。

「じゃあ真面目な話をしてやろう」
「こんな、抱え込まれた体勢でか」
「好きなんだよなあ。皐月が俺の腕のなかに、すっぽり入っている姿」
「真面目な話はどうした?」
「……皐月。俺はお前に、永遠を誓えない。俺もお前も、忍を目指す者だからだ」

先ほどまでと打って変わって、真面目な顔をして、真面目な声を出すのだから、この男は本当に厄介だ。
なんだか少し腹が立ってきたので、今日も今日とて雷蔵に変装している奴の鬘を乱暴に外す。面は、壊れやすいので、やや慎重に取り払った。
素顔になった三郎も、やはり、真面目な表情をしていた。真っ直ぐ私を見つめている。素直に私を愛している。私だけを。今だけは。

「そうだね」
「永遠を誓えない俺は、どうやってお前に愛を示せばいいだろう?」
「さあ」
「肌を重ねるのが、一番に伝わると思わないか?」
「…………」
「俺とお前は男と女だ。男と女として、愛し合っている。そのための身体があり、そのための行為を知っているのなら、行わなければ損だよ」
「………………で?」
「永遠を誓えない俺だからこそ、今このとき、お前を存分に愛させてほしい」

三郎の言っていることは、誇張している部分はあれど、おそらく大方間違ってはいない。
私達は忍を目指している。だから死が付きまとうものを志す私達は、簡単に"永遠"など誓えない。
男と女が愛を語らうのならば、それは会話よりも、肌を重ねた方が、見も蓋もないが満足感も充実感も、世間一般あるのだろう。
だけど、ひとつだけ間違いがある。
三郎は、永遠を誓えないのではない。鉢屋三郎は、"永遠"を誓えないのではない。
私に誓えないだけだ。鉢屋三郎のなかで一番ではない私に、永遠共に生きることも、永遠愛することも、誓えないだけだ。
きっと、雷蔵になら。不破雷蔵になら、鉢屋三郎は、永遠を誓えるくせに。

「…………"いいからさっさと抱かせろ"の一言を、そこまで彎曲に表現したことは、褒めてあげるよ」
「ふふん。このような物言い、案外嫌いではないくせに」
「そうだね、すこし、」

言葉を途中でとめて、三郎の首に腕を伸ばし、抱きついた。
一瞬、三郎が驚く気配がするが、それは本当に刹那。気が付けば、押し倒され、仰向けになったときには既に髪紐まで解かれていたのだから、器用なものだ。
私は三郎の首に抱きついたままだから、三郎の顔は見えない。三郎も、私の顔が見えない。だから三郎は、気付かない。

「すこしだけ、むねに、ひびいたかな」

お前に永遠を誓われなかったことを、存外、傷付いている私に、鉢屋三郎は気付かない。
気付かなくていいのだ。こんなにも、弱い女であることを、私はこの男だけには知られたくないのだから。