六年生の先輩方が先に卒業され、春休みまでのわずかな間、一学年かけた状態で過ごす学園はやはり少し静かだ。
しかしそんな静けさとは比べ物にならないほどの、耳に痛いまでの静寂が、私の周囲を覆っていた。
場は、鉢屋三郎の自室。同室である不破雷蔵は図書委員会の仕事で不在、というのは、同じく図書委員の友人、久遠寺菫から得た情報で知っている。
つまり、私は鉢屋三郎がおおよそ自室に一人でいるだろうと想定したうえで、この部屋に訪れていた。
来訪、というよりも襲来、といった表現の方が正しいかもしれない。しかも襲来のなかでも、極めて性質の悪い類の。

「…………烏丸、今お前、なんと言った?」

長らく続いた苦しいほどの静寂を破ったのは、鉢屋三郎の方だった。
その表情は、口角はどうにかあがっているものの、無理やり作ったのがありありと分かる笑み。
困惑を隠しきれていないその顔を見下ろしながら、私はひとつ息を吐く。
座ったままの鉢屋、立ったままの私。その体勢を一切変えないまま、私は先ほど発したものと一字一句違わぬものを告げた。

「私を抱いてみないか、と言ったんだ」

今はまだ時分は放課後だが、ある種これは夜這いだろうなと、口にしつつ思った。
しかも、私から。女から。はしたない、どころの騒ぎではない。笑えない。
けれどまあ、私はくのいちになるのだし、これくらいは許されるだろう。誰に言い訳するでもないが、胸のなかでそう結論付けた。
再び全く同じ言葉をかけられた鉢屋三郎は、いよいよようやく、まともな反応を示す。
最初にそれを告げてからは、ぴたりと固まり。長い間を置き、不恰好な笑みを浮かべて、私にどうにか問い質した鉢屋三郎。
彼は、長い長い、それはもう長い溜息を吐いた。そこに含まれている感情は、きっと困惑だとか、焦燥だとか、――――嫌悪だとかで。好意的な感情は、一切ないのだろう。

「お前は、阿呆か?」
「私の成績は、お前も存じていると思うが」
「確かに私は、色を使えと言ったさ。ああ、いつだか確かに、私が言ったさ。だけどこんな色の掛け方があるか」
「不服か」
「不服だ。第一、私達はまだ十二だぞ」
「すぐに十三を数える年を迎える」
「ふん、ああ言えばこう言う。うるさい、もっと男を誘う方法を学んでから出直して来い」

しっしと、まるで虫けらでも追い払うかのように、苦い顔をしながら鉢屋三郎は手を動かす。
私に向けられた瞳には、かろうじて完全な侮蔑の色を見せていないように思えるが、それは私の願望故かどうか。
私は"そうか"と、ひとつ頷いて、天井裏を使うのも面倒なので正面の戸から帰ろうときびすを返す。
元より、玉砕覚悟だったのだ。はなから抱いてもらえるなど、思ってもいなかった。
鉢屋三郎の言うとおり、私達は年齢も年齢。そして見目も特別秀でず、体つきだって貧相な私を、誰がわざわざ抱きたいというのか。
それなのに、このような愚行をおかしたのは。それは、やはり、まあ。私も、緊張しているのだろう。揺らいでいるのだろう。まったくもって、弱いものだ。
鉢屋三郎という男に出会ってから、この男に惹かれてから、私は殊更弱くなった気がする。色は忍者の三禁のひとつと、よく言ったものだと思う。

「邪魔をしたね」

部屋から失礼する際、一瞥した鉢屋三郎の顔は、ぽかんと呆けていた。
まあ、そんな顔もするだろうなと思った。いきなり天井裏からくのたまが降ってきたかと思えば、自分を抱かないかと問われ、断れば素直に帰るのだから。
けれど、やはり、その瞳に。私を見つめる瞳に、侮蔑や嫌悪の類の色がないように見えてしまったのは、きっと私の願望なのだろう。

三年生のうち、私と鉢屋三郎が顔を合わせたのはそれきりだった。
そのまま学園は春休みを迎え、生徒はそれぞれ在るべきところへ帰る。私も勿論、実家へ帰った。
そして春休みの最中も、実家で指南を受けた。長期休暇のたび、それは毎度のことであったけれど。
四年生への進級を控えた、この春休み。私は初めて、閨の指南を受けることになっていた。
"まだ早いのでは"と、直前まで母は父をとめてくれたが、父は首を横に振った。
"顔も体もさほど使えないのだから、せめて経験だけは積むべきだろう"と、私を暗い部屋へ放った。
幸いなことに、男達から暴力は振るわれなかった。陵辱の類では、なかったと思う。
私は初めてであるから、せめてもの父の配慮だろうか。次からはきっと、行われるのだろうけど。父はそこまで甘い人ではない。

男に抱かれながら、男達に抱かれながら、私はとりとめのないことを考えていた。それが私なりの、正気を保つ方法だった。
まだ初潮も迎えていないのに、先に男を知ることになるとは、順番が違う気がするな、だとか。
この男達も、仕事とは言え、父の命とは言え、私のような未熟な女を相手にしなければいけないのだから大変だな、だとか。
――――ああ、やはり初めては、鉢屋三郎がよかったな、だとか。甘ったれたことを、考えていた。
春休みの直前、私が鉢屋三郎に奇行とも呼べる襲来をかけたのは、なにも本当に気を違えただとか、単なる暇つぶしだとか、そんなものではない。
私なりに理由があった。私なりに、女らしい、弱く哀れな理由があった。
春休みには、実家で閨の指南があると知っていたから。こうなることを、知っていたから。
それなら私は、私が好意を持つただひとりの男であるその人に、初めてを捧げたかった。
無理であろうとも、せめてその機会くらいは、自分で作りたかった。ただ、それだけのことだ。

私がもっと、美しかったのなら、鉢屋三郎は私を抱いただろうか。
私がもっと、豊満な体を持っていたのなら、鉢屋三郎は私を抱いただろうか。

「ひっかかったよ。俺も、健全な男なのでね」

たった一度、気の迷いでも、私にひっかかったことがあるのなら、もう一度落ちてほしかった。
だけど、それは起こらなかったから。鉢屋三郎は私を、抱かなかったから。
それならせめてあの日の思い出を抱きたかった。鉢屋三郎の唇が触れた額に、私は情事のさなか、何度も触れて、自分を奮い立たせた。

実家での閨の指南は全て恙無く終わり、身体にも心神にも異常を来たすことはなかった。
悪夢を見たり、ふとした瞬間悲鳴をあげたり、涙を零したり。そのような行動も、起きなかった。
けれど、春休みが終わり、学園に戻るとわずかに異変が起きた。
忍たまを見ると、若い男を見ると、情けなくもわずかに足が竦んでしまうのだ。
春休みは閨の指南以外で、若い男と関わる機会はなかった。基本父か、弟。近しい親族の男としか関わらなかった。
だからまさか、自分も気付かないところでそのような弊害が起きているとは、思わなかった。
すぐに自分を叱責した。男を怖がるくのいちなど、そんな馬鹿な話があるか。甘えるな。
四年生に進級してから、私はあえて放課後などに、運動場や食堂近く、忍たまくのたまの共同区域に足を進めていた。
積極的に、男を見た。積極的に、男に近寄った。積極的に、男に話しかけた。
わずかに足は震え、心臓だっておそろしく早まっていたが。そのような荒療治が効を奏して、四年生の初夏を迎える前には、どうにか男に対する恐怖心は消すことができた。
しかしその最中。私は一度として、鉢屋三郎には近寄らなかった。話しかけなかった。その姿を見かけたなら、逃げた。
情けなくも、私はやはり、鉢屋三郎が関わると、おそろしいほどに弱くなってしまうらしい。


「軟膏が足りないんだよ」

シナ先生に頼まれごとをされ、本当に用があり訪れた忍たまくのたまの共同区域。
なんとなく、ずっと視線を感じてはいたのだが。届け物を木下先生に渡した瞬間、私は早々鉢屋三郎に捕まってしまった。
奴だって、優秀な忍たまだ。私に避けられていることくらい、すぐに気付いたのだろう。
だから私も、その隙をつかせないよう、必死だったのだが。今は、鉢屋三郎が上回った。
こうなっては逃げるが勝ちだ。さっさとくのいち教室へ帰ろうと、足を進める。背後からついてくる鉢屋三郎は完全に無視である。

「そろそろ夏も本番だ。軟膏がないと、困ってしまうなあ」
「…………」
「最後にお前からもらったものをどうにかこうにかやりくりして使っていたが、もう本当に、なくなってしまうなあ」
「………………」
「医務室のものより、お前が作ったものの方が利くんだよなあ。私の肌に合っているのかな?」

無視する姿勢を貫いて、ひたすらくのいち教室への道を行く。
私の後ろを、二歩ほど離れてついて歩く鉢屋三郎。この距離は駄目だ。すぐに詰められてしまう。だからそろそろ、完全に引き離さなくてはならない。
そうは、思うのだが。優秀な鉢屋三郎相手にそれはなかなか骨が折れるし、これはこれで、丁度いい機会だろう。
覚悟を決めて、不意に、私は立ち止まった。わずかに驚いた、背後の気配。続いてそれも止まる。振り向けば、私のすぐ後ろに、鉢屋三郎。
身長はさほど誤魔化しがきかないと、聞いたことがある。だからきっと鉢屋三郎本来の身長は、私と最後にまともに顔を合わせた、春休み直前。
奴が私を抱かなかったあの日と比べて、随分と伸びていた。

「最近お前は大人しくしていたし、上級生になったんだ。そろそろ医務室での盗みを再開してもいいんじゃないか?」
「人を盗人のように言うな」
「それに今ならお前だって自分で上手に作れるだろう。あの無様な軟膏を、改めて作れと言う方が難しい」
「無様とは失礼な。いたいけな十一歳が、一生懸命作ったものだぞ」
「ということで、私からの軟膏の提供は終わりだよ。ご愛顧いただきありがとう」

そうだ。上級生になったのだ。鉢屋三郎も、そして私も。
本格的に、忍としての学びが始まる。実習も始まる。それならば、いつまでも甘えた心を持ってなどいられない。
いつまでもこの男を、好いてはいられない。この想いは不要だ。それがあれば、私はきっと、さらに弱くなる。
絶たねばならない。この男への想いも、この男との関わりも。今このときを持って、金輪際。

「勝手に店じまいをするな」
「店主の勝手だよ」
「……怒っているのか」
「なにを?」
「お前を、その、抱かなかったことを。あれか、春休み、実家で叱られでもしたか」
「………………」

すぐに返答できなかった自分が恨めしい。自分のこの、弱さが憎たらしい。
確かに鉢屋三郎からして見れば、私を抱くことを拒絶した日をもって、私に露骨に避けられている現状なのだ。
その日、そのことに、原因があると考えるのは必然。そしてそれは、完全に間違っているわけでもない。ない、けれど、全てが正しいわけでもない。
いやなんだよ。お前に抱かれなかったことも、そして結局、ろくに顔も名も知らなかった男達に、抱かれてしまったことも。
だけど案外、そんな現実を受け入れている自分も。しかしやはり今でもどこか、心落ち着かない自分も。
なにより、お前の行動言動ひとつひとつに、こうやって心乱される自分が、一番いやだ。だから、終わりにしたいのに。

「そう思ってくれて結構」
「…………」
「だけど、もうお前を誘うことはないよ。お前を婿にするのは諦めた」
「………………」
「だからこれからお前の学園生活は、平穏になるよ」
「………………………………ははあ、なるほど。あれは新しい男漁りをしていたのか」
「は?男漁り?」
「ここ数月、色んな男によく話しかけていただろう。どうだ、私の代替品は見つかったか?」
「ああ…………あれは…………。…………まあ、そうだね。めぼしいのが、いくつか」

男漁りなどではないと、男への恐怖心をなくすためだと、訂正するのも面倒だった。
鉢屋三郎がそのように勘違いをしているのなら、それを利用しようと思った。
ただ、それだけだった。けして、けして、

「ふざけるなよ」

鉢屋三郎を、このように怒らせるつもりはなかった。
見限らせる、呆れさせる、軽蔑させる。そのような意図があったことは、認めるが。
こんな、私の両手を掴んで、力いっぱい握り締めて、表情に、瞳に、怒りをあらわにさせるつもりは、毛頭なかった。

「なにが」
「人をその気にさせておいて」
「その気?なにが?」
「……元々、憎からず思っていた相手に、あんなことを言われて、意識しない男がいるか」
「…………」
「そのくせ、当の本人は俺を避ける。離れようとする。他の男の下へ行こうとする」
「………………」
「そんなこと、許せるか」

だめだ、と思った。なにが、など具体的な内容は思い浮かばなかったが、ただひたすら"だめだ"と、脳裏が警笛を鳴らしている。
逃げなければと思った。これ以上、鉢屋三郎に何か喋らせてはいけない。素顔である耳と首下を赤く染めた鉢屋三郎を、見ていてはいけない。
鉢屋三郎の足を、思い切りかかとで踏んづけた。突然の攻撃に、鉢屋三郎は短い悲鳴をあげ、私から手を離し、うずくまる。
そのまま逃げた。ただひたすら、くのいち教室へ向かって逃げた。
その日は、そのときは、どうにか鉢屋三郎から逃げ切ることができたけれど、結局私は、奴に捕まることになる。

件の翌日から、私達の攻守が逆転した。
私が奴を避けようにも、奴がそれ以上の本気を出し、私の下へやってくる。私の前へ現れる。
そして告げるのだ。囁くのだ。相変わらず憎たらしい顔をして、だけど本気の色を、その瞳に宿しながら。
"俺にも男の矜持があるから、婿というわけにはいかないが、お前が嫁に来ないか?"。
"お前だって俺の素顔が気になるだろう?俺を選べば、いくらでも見放題だぞ"。
そんなことを、似たようなことを、飽きもせずべらべらべらべら、捲くし立てるのだ。
己の気持ちを、自覚したのかどうか知らないが。開き直っているのか、自棄になっているのか、知らないが。
"お前のそれは、自分の物だと思っていた物が他人に取られそうになって、面白くないと思っているだけだよ"。
そう指摘しても、奴はどこ吹く風だった。"うるさい、自覚させたお前が悪い"、"うるさい、自棄にさせたお前が悪い"、"うるさい、俺を煽ったお前が悪い"と。
知らないよ。知らないよ。知らないよ、そんなこと。そんなの、お前が勝手に、仕出かしたことだろう。
やめてほしかった。本当に、やめてほしかった。甘い言葉を囁くのは、痛いくらいに嬉しい言葉を、私に投げかけるのは。
最初は自分のためだった。父のためだった。父に、自分を認めてもらうために、鉢屋三郎に近付いた。
だけど、次第に鉢屋三郎そのものに惹かれてしまった。だから、そんな私に、そんな言葉など、かけてほしくないのに。
何度も逃げた。何度も聞き流した。何度も受け流した。しかしそんな私の意地も、そう長くは続かなかった。
だって、そうだろう。所詮私は、ただの女だよ。意地と矜持で表向きの強かさを保っているだけの、ただの弱い女だよ。
閨の指南があるからと、それに怯え惑い、鉢屋三郎に抱かれたいと確かに願った私が、いつまでその人からの好意から逃げられるだろう?

ある日突然、ぷつりと糸が切れた。
その日も鉢屋三郎は私を見かけると、当然のように甘言を囁いたから。
私は頷いてやったのだ。"婿だとか嫁だとかは後々話し合うとして、とりあえず、付き合おうか"と。
そのときの、奴の間抜けな表情。ぽかんと目と口を開いて、だけど徐々に、耳を赤く染めて、首までも赤く染めて。
"ようやく観念したか"と、悪戯が成功した少年のように笑った三郎の姿を、私は生涯忘れることはないだろう。


私と三郎が恋仲になったのは、四年生の秋の終わりだ。
手を繋ぐだとか、抱擁だとか、それこそ口付けなどは早々に手を出してきた三郎だが、その先にはすぐにとはいかなかった。
おそらく、一度自分が拒んだ過去があることを、気にしていたのだと思う。
それ以外にも、その頃は四年生といえど本格的な実習などが続いたので、単純に機会がなかったとも言えるが。
ようやく、とも言うべきか。私達にその機会が訪れたのは、五年生の春だった。
"雷蔵が図書室当番、しかも書棚整理だとかで遅くまで帰ってこないから"と、部屋に誘われた。
他愛のない会話を交わし、それがふと途切れたことを皮切りに、まず額に口付けを落とされた。
額には触れるだけだった口付けが、唇同士の際は、深いものであったので。ああ、ついにその時が来たのだろうかと、私はぼんやり思ったのだ。
嫌なはずがない。心待ちにしていた部分もある。だけど、罪悪感にも似た焦燥が、確かにあった。

「皐月、俺は」

恋仲になってから、三郎は私のことを名で呼ぶようになった。
三郎が女を名前で呼ぶのは私だけだった。だからそれがとても、嬉しかった。
たとえ、私の名前を呼ぶ唇が、その輪郭が、変装であったとしても、誰か別の人間に似せた偽物であっても。
鉢屋三郎という人間に、名を呼ばれることが、私は本当に愛おしかった。

「本当に好いた女は、素顔で抱きたいと思っている」
「そうだね。それがいいと思うよ」
「俺は今から、お前に素顔を見せたいと思っているのだが、いいだろうか?」

なんて誘い文句だろうと思った。なんて、殺し文句だろうと思った。
三郎の素顔は、ずっと気になっていた。気にしないわけがない。この学園の人間みなが、一度は必ず、この男の素顔を気にかけるだろう。
だけど三郎は、学園の誰にも素顔を見せていないと言う。先生方にも、同室で一番の友人である不破雷蔵にでさえも。
それを、私に見せるという。今まで誰にも、おそらく家族にしか見せなかったであろう、素顔を。私に。私が、本当に好いた女であるから。

「俺は、お前にしか素顔を見せるつもりはないよ。生涯、女子は皐月だけで十分だ」
「…………浮かれているな」
「俺をこれほどまでに浮かれさせた皐月が悪い。諦めてくれ。諦めて、俺の、」
「…………」
「俺の、生涯唯一の女になってほしい。いいだろうか?」

私はまだ返事をしていないのに、三郎は私の髪紐を解く。
髪が重力に従って下がる。反動でわずかに散らばる。愛おしそうに、それを三郎は眺めていた。
私も、未だ無言のまま、三郎の髪、正しくは鬘に手を伸ばす。
取り払ってしまおうと、わざと力を入れてみても、三郎は何も言わなかった。
だから、外した。鬘を外した。その下には、綺麗にまとめられた、鉢屋三郎の髪。彼本来の髪。
ああ、お前本当はこのような髪の色をしていたのか。知らなかったよ。

「…………お前が、唯一にしたいと思っている女は、既に汚れている」
「…………………………実家か?」
「さすが、話が早いね。そうだよ」
「早いのはお前の家だろう。まだ、十四を数える年になったばかりだぞ……」
「もっと早いよ。私が汚れたのは、十三を数える年の、直前だ」
「………………」
「だから私、あのときお前に、抱かれたかったのに」

目を見開いて、息を飲んで、一瞬視線を右上に向けて、そして三郎は目を瞑った。
そのまま、私の肩口に顔をあずける。丁度いい位置にきたので、まとめられた三郎本来の髪を解いてやった。
かの日を、思い出しているのか。ああ、だの、うう、だの、声にならない声で、三郎は呻いている。
あまりにもその姿が哀れで、可愛かったので。頭を撫でてやった。ぎゅう、と背に腕が回る。

「……興がそがれた?」
「いや………………いや、いや、まあ、…………多少は」
「はは、素直だ」
「はあ………………本当か」
「残念ながら」
「………………………………ん?待て、皐月。あのとき、本当に俺に抱かれたかったのか?」
「そうだよ」
「あのとき既に、俺を好いていた?」
「そうだよ」

私のその言葉に、わずかに三郎が顔をあげる。
かと、思えば。その表情を確認する前に、身体に感じる圧力。気付けば組み敷かれ、私は天を仰いでいた。
組み敷いたのは誰だと問うまでもない。三郎だ。にやにやと、厭らしい笑み、だけど心底嬉しそうな笑顔を浮かべて、私の上にいる。
幸い、私の両腕は押さえつけられていないので、その顔に向かって手を伸ばした。
叩くわけでもない。ましてや、殴るわけでもない。面と素顔の境目に、わずかに爪先を入れる。三郎は、何も言わなかった。

「興がそがれたと、聞いたのだが」
「あんなに嬉しい言葉を聞いて、その気にならない男がいるか?」
「嬉しかった?」
「とても」
「そう」

あとはもう、言葉は続かなかった。会話は続かなかった。
三郎が再び私に口付けを落としたからだ。唇が離れ、私が三郎の面を、外したからだ。
それを合図とするかのように、また三郎は素顔の唇で口付けを落とした。まるで慈しむかのように私に触れ、私を抱いた。

初めて見る三郎の素顔は愛おしかった。
初めて触れる三郎の肌は愛おしかった。
なにもかもが愛おしくて、だけど同じくらい、寂しかった。

三郎と恋仲になったことを。鉢屋の倅を落としたことを、私は実家に、父に言っていなかった。
私だけのものにしたかったからだ。学園のなかだけの、秘め事にしたかったからだ。
私も三郎も、お互い忍の家に生まれた者。どうなるかなんて、それぞれの家次第だ。
だからせめて、私たちを優しく守ってくれる学園のなかだけで、私は三郎と真実ただの恋仲でいたかった。
それがたとえ、いびつであったとしても。不慣れに、だけど優しく私に触れる、三郎が、この男が。
一番に想っているのは、けして私でなくとも、私はこのときを、この優しい箱庭のなかに、永遠に閉じ込めてしまいたかった。