三好凪、もとい凪との恋仲としての付き合いは、上手くいっているときもあれば悪いことしか続かないこともあった。
三年生の時も、俺は火薬委員に立候補し、凪もまた火薬委員になった。
三年連続凪の所属する組から火薬委員を選出することになるとは、なかなかの確立だと思う。
三年生になって最初の火薬委員会が終わった後、俺は凪に呼びとめられた。
"久々知がいると思ったから、今回は、立候補したよ"。それだけ顔を赤くしながら言うと、脱兎の如くくのいち教室へ逃げた。
完全なる言い逃げだった。ずるい。あの言葉も、その顔も、ちょっとそれは、ずるいんじゃないか。
十分顔と気持ちの火照りを冷ましてから部屋に戻ったはずが、勘右衛門には早々に熱でもあるのかと、聞かれてしまったほどに、それは強烈だった。
四年生の時も、俺も凪も火薬委員になった。四年連続となると、学園側がどうにか凪を火薬委員にしようか画策しているのではと、そんな馬鹿なことを一瞬思ってしまうほどだ。
凪もさすがに何か思うところがあったのか。四年生最初の火薬委員会が終わった後、互いに何とは言わずとも揃ってその場に残り、二人きりになった途端、"呪いね"と、呟いた。
"四年連続で、私のクラスから火薬委員を選ぶことになるなんて、呪われているようだわ"と、可笑しそうに笑った。俺はその言葉に、ぴくりとも笑えなかった。
俺と凪は火薬委員会で出会った。火薬委員会を行うなかで、凪のことを知って、凪の笑顔を知って、好きになった。
その縁を呪いと、言われてしまうと。俺だけがまるで、浮かれているようじゃないか。
俺は苛立ちを込めて、"不愉快だ"としか、言えなかった。それしか言葉が出てこなかった。
凪はそれを、どう思ったのか。どう捉えたのか。ひどく傷付いた顔をして、ひどく申し訳なさそうな顔をして、"ごめんなさい"と謝って、くのいち教室へ逃げた。
だからそれは、ずるいんじゃないか。呪いだと言って、先に傷付けたのはお前なのに。そんな顔をされたら、俺の方がよほどひどいことをしたみたいだ。
凪が火薬委員だったのは、その四年生までだ。五年、六年と、凪は火薬委員にならなかった。
だけどその二年間、新しいくのたまの火薬委員は下級生だったということもあり、よく時間を作っては、凪は委員会を手伝ってくれた。
"凪も忙しいのに悪い"、と言えば。"時間が大丈夫なときだけだから"と、凪の方こそ申し訳なさそうに言った。
どうしてだろう。そんな顔をしてほしいわけではないのに。そんな顔をするくらいなら、そうやってわざわざ時間を作らなくていいのに。だってお前、本当に大変だろ。
"じゃあ来なくていいよ"と、一言いえば。凪は本当にそれからしばらく、委員会に顔を出すことはなかった。
一度、作業量に対しあまりにも人数が足りず、泣く泣く三郎次達が凪を迎えに行って、それからまた度々顔を出すようになったのだが。
委員会以外でも、勿論俺と凪は付き合っていた。火薬委員同士ではなく、男と女として。
手は、告白したそのときに繋いだ。その次には、なかなか進めなかった。
俺もまだ二年生、そしてすぐ三年生になったが、手順がよく分からなかったし、そもそも男女の付き合いというものがよく分かっていなかった。
だから今思えば、三年生の時はとても健全な付き合いをしていたと思う。
変化が訪れたのは、四年生からだ。十三と、年頃になったし。授業でも少し、そういった内容の物が増えた。
男と女は、そういうことをするのかと、知れば。俺は凪としたいと思った。付き合っているから。恋仲だから。好きだから。
だから、四年の冬に。勘右衛門が外出したときを見計らって、初めて凪を自分の部屋に招いた。
そこで初めて口付けた。本当に、それまでは、そこで終えるつもりだったのだが。
凪の、唇が。吐息が。真っ赤に染まった、凪の顔が。どうにも、堪えきれなくて、そのまま俺は、半ば無理やり凪を抱いた。
最初こそ若干無理やりだったものの、それから俺と凪は合意のうえ、体を重ねていくことになる。俺だって、凪だって、年頃の男と女だからだ。
いつからか、気付いたのだが。凪は、最中こそ、集中しているものの。俺にだけ、俺だけを、見ているものの。
終わった後は、何処か遠いところを見ている気がした。それこそ、その瞳に、後悔の色を滲ませたような。
いつだったか、それを強く問いただしたことがある。"俺に抱かれるのが嫌なのか"と、怒鳴りはせずとも、責めるように尋ねた。
"そんなことはない"と、凪は首を振った。"兵助に抱かれるのは嬉しい"と、凪は俯いた。"だけど、私がこんなことをしている間にも、あの子達は、"。そこから、凪の言葉は続かなかった。
あの子達、とは。凪のきょうだいのことだ。凪は、いつだって自分の下のきょうだいたちを、そう称する。そう慈しむように呼ぶ。
凪の両親が生き返るはずもなく。凪たちを養ってくれるような親戚などが現れるはずもなく。変わらずずっと、凪は自分の学費と、兄弟達への仕送りを稼いでいた。
一応、いつだって目標の額には達しているらしい。だったらそれでいいじゃないかと考えてしまうのは、それは俺が、親もいる、金で悩むことのない、人間だからだろうか。
目標の額に達しているのなら、そんな自分自身を責めるような顔をしなくたっていいじゃないか。金はあって困る物ではないから、必要以上に稼ぎたい気持ちも、分からないでもないけれど。
本当は凪は、俺と共にいる時間を、それこそ俺に抱かれている時間を、金を稼ぐ時間にあてたいのか。自分のため、なにより、大事に可愛がっている、きょうだいたちのため。
そう考えると。その時だけでなく、ふとした瞬間そう思ってしまって、いつだって腸が煮えくり返るような感覚に苛まれた。
凪が、自分で学費を稼がなければいけないことも、仕送りをしなければいけないことも。最初から分かっていて、むしろそこに惹かれた部分があったと、言ってもいい。
だけどそれがずっと、変わらないから。あまりにも変わらないから。あまりにも、きょうだいのことばかりで、俺のことを見てはくれないから。
それはなんだかとても腹が立った。だけどそれでいいと、そんな凪でいいと言ったのは、確かに二年生の冬の日の俺自身だった。
俺達はまともな逢引をしたことはなかった。だって凪は放課後も休日も、アルバイト三昧だから。
別に、それはよかった。ただ、友人とは共にするのに、俺には手伝わせてくれないことがずっと気にかかった。
俺には手伝わせたくないんだろうか。手伝ってほしくないんだろうか。そう思い、俺から声をかけることなんてできなくて、ずっと口を噤んでいた。凪から声をかけてくるのを待っていた。
だけど最後まで、凪が俺にアルバイトの手伝いを頼むことは、なかった。
さらに凪は学年があがるにつれ、真剣にくのいちを目指すようになった。凪がくのいち志望なんて、それこそ最初から知っていた、けれど。
だけど、一心不乱に勉学にも、さして得意でもない実技にも、励む姿は。早くくのいちになって兄弟達と暮らして、楽をさせてあげたいと、本音を零す姿は。
俺はいらないのだと。俺との未来は凪にないのだと、言外に突き放されているようだった。
それにも腹が立った。だけど何も言えなかった。だって、凪だって、何も言わないから。俺との未来がないとも。勿論、あるとも。何も。
下手に俺が口を出せば、そのまま俺と凪の関係が終わってしまう気がした。ただでさえ、俺たちは口論が多いのだから。
俺が、黙っていれば。少なくとも在学中の間は、凪と共にいられるのではないかと、そんな怠惰にもにた考えを抱き始めたのは、五年の半ば頃だっただろうか。
だけど、俺はあまり我慢強くなく、気が長くもなく、穏やかな性分でもないので。
六年の秋、とある実習の日。月の弱い夜に、凪の閨の実習相手に選ばれたことを、幸いとして。全てをぶちまけた。
甘えてくれよ。俺を頼ってくれよ。俺をほしがってくれよ。俺を求めてくれよ。きょうだいたちだけじゃなくて、俺のことだって。
いつからかは分からないけど、だけどきっとずっと前から、俺はこんなにも凪を、凪だけを、求めているのに。
きょうだいと一緒に暮らしたいならそれでいいよ。きょうだいに楽をさせてやりたいならそれでいいよ。凪がきょうだいのことを、何よりも大事にしてることなんて、知ってる。
だけどそこに俺がいないのはだめだ。凪の願いをかなえてやるのは、俺じゃないと嫌だ。凪の願いだけど、凪が、凪の命や身体を使ってかなえるのは、許してやれない。
好きだからだよ。お前は知らないだろうけど、俺こんなに、お前のこと好きなんだよ。俺も正直、知らなかったけど。俺は相当、お前のことが好きみたいだ。
玉砕覚悟で全部、胸の内全部を、凪に洗いざらい話して。凪も、それに応えてくれた。やっと俺を、俺も、求めてくれた。
俺はそれが嬉しくて。凪もきっとそれが嬉しくて。ああ、俺達、周りに言わせれば冷戦ばかりしてきたけど、やっと分かり合えたな、なんて思っていたのに。
どうやら俺たちは、結局分かり合えていなかったようだ。その理由は、原因は、簡単。
凪が、生きるのが下手で、要領が良いようで悪くて、どうしようもなくずるい奴だからだ。
凪はくのいちを本気で目指していたものの、どこか精神的に弱い面があった。
最初から、それこそ、一番最初。一年生の時の委員会での、顔合わせ。そこでの挨拶の時から、その片鱗を、俺は知っていた。
それからも、俺と付き合ってからもずっと、その不安定さは、常に凪に付きまとっていた。
だけど、大きく揺らいだのは、まず五年生の秋。凪の親友の一人が、実習で死んだ。俺はその時、上手く慰めてやれなくて、むしろ余計泣かせてしまった。
月日のおかげで少しは快復したと思う。俺と、婚約をしてからは、なおさらだったと思いたい。
だけど六年生の初秋。凪の親友がまた一人死んだ。今度は、泣かせることはしなかったけど、慰めてやることもできなかった。
その傷がほとんど塞がらないうちに、凪の一番の親友、六年間の同室相手が、突然の失踪の末、死亡が認められた。
凪はもう、ぼろぼろで。見ていて可哀想なくらい、泣き腫らして。それなのに俺は何もできず、何も言えなかった。だって俺は親しい友人を、まだ一人も亡くしてはいないから。
だけど凪の好きなものは知っているから。大切なものは知っているから。それに触れたら、凪は元気になるかと、単純なことを考えたから。
"次の学園の休みに、凪の実家に行きたい"と、俺は伝えた。"凪のきょうだいに、結婚する前に一度ちゃんと、会っておきたい"と、涙で濡れた凪の目を見つめながら、伝えた。
本当の久しぶりに、凪は笑った。ほんの少し口角をあげただけだったけど、俺はそれがとても、嬉しかった。
しかしその休日の朝、俺は学園から火急の忍務を受けた。
まさか断るわけにいかないので、また別の機会に必ずと約束して、凪に土産だけを持たせて、学園の正門で、凪と別れた。
俺は、勿論忍務に。凪は一人で里帰りのため。真逆の方向に、それぞれ歩き出した。"気をつけてね、兵助"。その言葉に、俺は振り返りもせず、軽く手をあげるだけだった。
そのまま凪は帰ってこなかった。
外泊届けも出していないのに、夜になっても帰ってこなかった。
だから俺は、凪の行き先を知っている俺が。日付も変わるだろう時刻に、場所だけは凪から聞いてた彼女の故郷に、初めて向かった。
凪の実家。そうだと思われる場所に、凪はいた。いたけれど、変わり果てた姿だった。その家の中にいる全員が、そうだった。
二人は、腐敗が始まりかけていた。二人は、安らかな顔だった。そして凪は、また泣き腫らした顔をして、安らかな死に顔の二人と同じく、首を斬って絶命していた。
凪の左手には紙が握られていた。少し血で汚れたそれは、俺に宛てた遺書だった。
凪の兄弟は、四人ともみな、流行り病にかかっていたらしい。
凪の遺書を読んでからのことは、あまり覚えてない。
近くに山があったから、そこに五人の死体を運んで、大きく深い穴をひたすら掘って、五人まとめて埋めた。
そして学園に帰った。出迎えてくださった先生方に、事情を説明して、遺書を見せた。
それからほどなくして、俺は学園を卒業した。フリーの忍者になる予定だったが、その必要もなくなったので、適当な城に勤めた。
卒業までの間、俺にしては珍しく勘右衛門や、他の友人たちとの諍いが絶えなかった気がするが、その詳細は思い出せない。
学園を卒業してからは、ひたすら働いた。城の為、忍務をこなした。当然である。俺は城務めの忍者なのだから。
学生時代の友人や、後輩、先輩とは、誰とも連絡をとっていなかった。当然だ。忍なのだから、そんなものは必要ない。
務めて十年目には、後からその死に顔を確認して気付いたのだが、忍術学園時代の後輩を殺した。
その次の年には、火薬委員会直々の後輩を、それと知っていながら手をかけた。
さらにその次の年には、勘右衛門と再会した。近々俺達はやいばを交えるだろうと、わざわざ宣戦布告しにきたのだ。
"勘右衛門。悪いけど俺、たぶんお前を殺せるよ。だって後輩をもう、二人も手にかけた。そのうちのひとりは、火薬委員の、後輩だ"。
俺がそう言い終えると、勘右衛門は一瞬、息を飲んだ。だけどそれから、勘右衛門にしては珍しい、本当に珍しい、辛そうな、泣きそうな顔をして、搾り出すように言った。
"だから、あのとき、一番辛いときに、泣かないから。お前そんなんに、なっちゃったんだよ"。
その言葉の意味が、分からなかった。分かりたくもなかった。それはひどく、煩わしい気がした。
"あのときって、なんだよ。一番辛いときって、なんだよ。俺が一番辛かったこと?いつだかの、夏休みの宿題かな。間違って、六年生の物が出されて、あれは本当に死ぬかと思った。
だけどさすがに、泣きはしないよ。怪我もしたし、本当に辛かったけど。だけどあのとき、俺はもう十四だよ。泣くわけないだろ"。
何かが壊れたように、べらべら口が回った。"もういい"、と、勘右衛門は途中で俺の言葉を遮ろうとした、けど。
"辛いってなんだよ。泣くってなんだよ。勘右衛門、お前だけじゃない、八左ヱ門も雷蔵も三郎も、みんなそう言ったな。
何で泣くんだよ。何で泣いてやらなきゃいけないんだよ。最後まで、自分と自分のきょうだいのことしか考えないで、俺のことなんてこれっぽっちも考えなかった、あんな女の為に。
だってそうだろ。俺のこと少しでも考えてたなら、あんな最後選ばなかった。そうだろ。違うか。違わないだろ。
あいつがそうなら、俺だってそうだ。俺だってもう、あいつを選ばない。もうたくさんだ。もういい。
あいつのために、泣く必要なんてない。辛くなる必要なんてない。もうない。何もなかった。俺たちは、何もなかったんだ"。
言葉がとまらなかった。本当に、口が、舌が、喉が、壊れたんじゃないかってくらい、まわる回る。
自分で言っていて、思う。あんな女って誰だ。あいつって誰だ。ああ、そうだ三好凪。自分で死ぬことを選んだ、とんでもない女だ。
"もういいから、兵助"。そう言って、勘右衛門は逃げるように、俺の前から去っていった。俺も、ふらふらと、そのまま帰路に着いた。
それから一月もしないうちに、本当に勘右衛門とは忍務の際に敵として遭遇した。
俺は宣言どおり、勘右衛門を殺した。ああ、もう、駄目だと思った。何が、かは分からないけど。これでもう、本当に。だめだ。もう。
だから俺は、勘右衛門を殺してから数日後。今、奇襲をうけて致命傷を負い、死に掛けていることを、後悔はしていない。
俺に奇襲をかけたのは、木下先生だった。忍術学園の教師。俺と勘右衛門の担任。俺の恩師。
手短に、告げられた木下先生の話では、こうだ。
俺が勤めている城と、忍術学園は今、水面下で敵対関係にあるという。勘右衛門は、俺を城から、引き離したかったのだと。
それができなければ、自分が俺を止められなければ、もう先生が俺を殺してやってくれと、頼みにきたと。
知らなかった。俺の勤めている城が、そんな状況にあったなど。本当に、知らなかった。
当然だと、木下先生は俺を責めなかった。
本当の水面下で起こっていることだから、自分の周囲のことの方が分かりにくいものだから、昔からお前はどこか視野が狭いところがあったからと、笑った。
それから続けて、"もういいぞ"、と。昔から変わらない低く野太い声、だけど俺が憧れてやまない、誰でもない木下先生の声で、言われて。
本当に、もういいのだと思えた。もう、逃げるように、逸らすように、生き急ぐことは、終わったのだと。
だったら、いいだろうか。死ぬ間際、この瞬間。今くらい、あいつのことを考えても、いいだろうか。
考えないようにしていた。逃げていた。目を逸らしていた。
だって、そうでもしないと。俺はどうにかなってしまいそうだったんだ。だって、そうだろ。
ずっと好きだった。きっと初めて出会った時から好きだった。二年生から恋仲になって、深い仲にまでなったけど、何処か分かり合えなくて。
ようやく分かり合えたのに、それから転がるように弱って、弱って、弱りきって。俺との未来を約束しながら、自分で死ぬ道を、選んだ、凪。
許せなかった。俺がいるのに。きょうだいが死んでしまっても、俺がいるのに。俺だけではだめだったのか。
だめ、だったんだろうな。そんなの、最初からだったのか。最初から、お前のなかでは決まっていたことだった?
それでもいいと言ったのは、誰でもない俺だったかな。本当は、ずっと、よくなかった。俺のことも、見てほしかった。選んでほしかった。
凪なりに、見ていてくれたのかもしれないけど。俺との未来を選んでくれた気持ちは、あのときは本当だったのかもしれないけど。
お前が死んでしまったら。お前が自ら死んでしまったら、そんなもの、何の価値もないよ。生きていてくれなくては。俺と共に、生きていてくれなくては。
俺だけが想うのが癪で。俺だけが好きなのが、馬鹿みたいで。俺だけがお前の未来を望んでいたのが、滑稽だった。
だから俺は、もうこれ以上惨めになりたくなくて。お前のことなんて知らないと、辛くなる必要も、涙を流す必要もないと、跳ね除けた。
兵助へ
家に帰ったら兄弟達が流行り病に倒れていました。
真ん中の二人は死んで数日経っていて、一番上と末の子はまだ生きていたけど虫の息でした。
苦しいと二人が泣くので私が殺しました。
兵助は私と結婚してくれる、私の兄弟の面倒も見ると言ってくれたけど、もうその兄弟はいません。
兄弟を見殺しにして、二人も手にかけて、私だけ生きて兵助と幸せになるわけにはいきません。
だから兄弟の後を追います。せっかく求婚してくれたのにごめんなさい。
兵助は私のことなんて忘れてください。これから先忍者の道は大変だろうけど、生きていってください。
ごめんなさい。
三好 凪
だけど本当は、一瞬として、忘れたことはなかったよ。
一度しか読んでいない、あの遺書だって。お前と共に埋めたあの遺書を、今でもはっきり、こうやって思い出せる。
凪。お前に言われなくても、俺は生きたよ。
お前と違って、俺はそう生きるのが下手ではないから。お前と違って、要領はいいばかりだ。
お前が馬鹿なんだよ。難しく考えすぎなんだよ。その結果お前はいつだって、自分を苦しめていただろ。
生きるのなんて簡単だよ。お前がいなくたって、生きていくのなんて簡単だった。だってお前のことを、忘れたふりをしてしまえばよかったから。
それだけでいいんだ。それだけで、俺は今日まで生きてきたけど、なんだかずっと、生きた心地がしなかったな。
お前と一緒にいた頃の方が、面倒なことも、言い合いも、たくさんあったけど。その方がずっと、楽しかったな。
お前の生き方は、下手くそで、要領が悪くて。だけど何処かとても、ずるくて。
でもそんなお前の隣で生きている俺は、おかげできっと、ずっと楽しかったよ。
ふと、片隅から声が聞こえた気がした。もう、木下先生は何も喋っていない。昔のように、ただ黙って見守っていてくれるのだと思う。
この声は、ああ、そうだ。友人の声だ。友人達の声だ。
泣けと、強がるなと、凪を失った後の俺に、何度も呼びかけた、友人達の声。
今この瞬間でも俺は、昔と変わらず、こう答えるだろう。人間とは、そうそう変わらないのだから。
俺が泣いたって、凪は帰ってこない。俺が泣いたって、凪は俺を選ばない。だったら、いい。もういいんだ。
だけど月の弱いあの夜。俺は年甲斐もなく涙ながらに、凪に己の全てを訴えた。それに凪は応えてくれたから。
泣けばよかったんだろうか。そうすれば俺は、俺はもっと、救われた?
「……な、んで、だよ」
そんなわけ、ないよ。凪が死んだ時点で、俺はもう、なにもできなかった。
せいぜい、こうやって最後に、捨て台詞を吐くのが精一杯だ。
ひどい奴だ。ひどい奴だ。凪。お前は本当に、ひどい女だよ。
もうお前のことなんて忘れたいのに。お前を想ったって、仕方がない、どうしようもないと、わかっているのに。
忘れられないよ。忘れられるわけがないよ。
お前ほどずるくて、不器用で、可愛い女。俺は他には、知らないよ。知りたくも、なかったんだ。