なんてずるい奴なんだろうというのが、最後の印象だった。
俺と三好凪は、それから徐々に親しくなっていったと思う。
たとえば委員会活動の間でも、休憩時間などであれば、仕事以外の話をすることが増えた。いわゆる世間話や、雑談といったものだ。
会話を重ねるうちに、俺はそれまで知らなかった三好凪の人となりを知っていった。
印象どおり、三好凪は座学が得意で、特に兵法はほとんど暗記していることだとか。それに比べて実技、なかでも変装は少し苦手なことだとか。
特に親しくしている友人は、五人。普段は三好凪も入れて六人で行動していることだとか。
それから五人兄弟の長女で、一番下の弟とは八つ歳が離れていること。末子が生まれたばかりの、三好凪が八歳のときに、彼女の両親が亡くなったこと。
風の噂で忍者の稼ぎがいいこと、忍術学園の存在を知った三好凪は、将来的にきょうだいたちを養うためにこの学園にやってきたこと。
だから学費は自分で稼いでいるし、実家への仕送りも、頑張って稼いでいること。
放課後はほとんどアルバイトをしている。休日は、アルバイトをしていない方が珍しいらしい。
友人たちが、たまにアルバイトを手伝ってくれるが、それが有り難くも申し訳なくて、どこか引け目を感じて、友人なのに距離を置いてしまっていること。
俺は幸いにも、両親は息災である。きょうだいもいないから、きょうだいの可愛さだとか、大切さは分からない。
だから三好凪のけして豊かとは言えない生い立ちを知っても、俺は何も言えなかった。かけられる言葉が、見つからなかった、とも言うべきか。
だけど、三好凪の友人については、思うところがあったので口にした。
俺はさほど自分で気にしていないとはいえ、生粋の人付き合い下手だ。故郷に親しい友人などいなくて、忍術学園でようやく、勘右衛門を通して友人が作れたほどだけど。
そんな俺に言われたくないかもしれないが、そんな俺ですら気付けたことなのだから、これは言ってもいいかと、思ったのだ。
"たまに見かける、お前と、友人は、とても仲が良さそうに見える。友人の方はお前のことを、きっと本当に親しく思っている。
だからお前が勝手に引け目を感じて、距離を置いたら、アルバイトを手伝うことよりもずっと、いい迷惑だと思う。
距離を置くのは、相手から本当に、いい加減にアルバイトを手伝うのは嫌だといわれてからでもいいんじゃないか"。
嘘ではなかった。俺がその場で嘘を言う必要はなかった。だって本当に、何度か三好凪と友人達が一緒にいるところを見かけたことがあるし、俺はその光景を思い返して、本当にそう思ったからだ。
三好凪は、俺のその言い方に、少し面を喰らったようだった。ついでに気分も害したのか、軽く睨みながら、俺の言い方があまりにもあけすけすぎると、嗜めた。
だけど、すぐに笑った。少し困ったような、小さくはにかんだ、親しくなってから度々向けられるようになった、三好凪の笑顔だ。
"けれど、そうはっきり言ってもらえて、嬉しい。少し気が楽になった。ありがとう"。そう言って、三好凪は笑うのだ。
俺はどうにも、三好凪の笑顔に弱いらしい。こうやって笑いかけられると、頭が回らなくなって、何も言えなくなって、ただ三好凪を見つめ返すことしかできなくなってしまう。
そのくせ、三好凪が相変わらず出来の悪い後輩やら、先輩方にもたまに笑顔を向けていると、なんだか面白くないのだから不思議だ。
その笑顔を向けられたら、俺はまたどうしようもなくなって、何も出来なくなるくせに、他の奴に笑いかけるなら俺に笑えばいいのにと思うのだから、本当に不思議だ。
その不可思議な感情の正体を知ったのは、三好凪と他愛のない会話を交わすようになってから幾分と経った、二年生の冬のことだ。
その日は放課後、委員会も何もなくて、組を越えて仲良くしているろ組の三人組が俺達の部屋へやってきた。
そのまま五人で、雑談をしたり、力比べをしたり、宿題をしたり、やっぱり適当な話をしたりと、時間を潰していたとき。
ふと、この五人では、初めての。もっとも、俺にとっても人生初めての、女の話になったのだ。
言い出したのは勘右衛門だった。"俺、気になってるくのたまの子がいるんだけど、お前らはどうなの?"と、照れる様子もなく聞いてきた。
ろ組の三人組の一人、雷蔵は少し顔を赤くして、"いないよ"と答えた。"どんな子が好き?"と勘右衛門に聞かれて、"優しい子かな"と、さらに照れた。
ろ組の三人組の一人、三郎は若干人を馬鹿にした笑みを浮かべて、"いるわけがない"と答えた。"お前をいつも追い掛け回してるあの子はどうなの"と勘右衛門に聞かれて、"悪い奴ではないんだけどな"と、眉を下げた。
ろ組の三人組の最後の一人、八左ヱ門はきょとんとしながら"そういうのよく分からない"と答えた。どんな子が好きか勘右衛門に聞かれても、やっぱりいまいち的を射ていないようだった。
最後に聞かれたのは、俺だ。"兵助はどうなの"、と勘右衛門が聞く。笑いながら。その笑みは覚えがあった。内心ものすごくものすごく楽しんでいる、勘右衛門の腹からの奥からの笑みだった。
どうして勘右衛門がそんな顔をしているのか、俺にはわからなかった。この話題が相当楽しいのかと思った。あまり、盛り上がってはいないが。
俺はひとまず、俺もとりあえず、いないと答えた。雷蔵や八左ヱ門と同じだ。
だって、俺に好きな子なんて、いないから。好きな女なんて、今までできた試しもない。
ようやく、こんな話ができるほどの友人が作れたのだ。それなのに、好きな女なんて、まだ早すぎると思う。
だけど、勘右衛門は退かなかった。雷蔵や八左ヱ門のときは、すぐに退いたのに。俺には、ぐいぐいと体も質問でも詰め寄ってくる。
"嘘吐けよ。名前は、こいつらがいるから伏せてやるけど。どれだけあの子の話聞かされてると思ってんだよ。自覚してないの、お前"。
勘右衛門のその言葉に、ろ組の三人組が喧しくなった。うるさいので、俺は耳を塞いだ。目は閉じていないので、にったりと弧を描いた勘右衛門の目は、間近に見据えたまま。
なんだよ。なんだよ、その顔。あの子って誰だよ。自覚してないって、何が。
そう、悪い笑みを浮かべた勘右衛門に徹底的に問い詰めたい気持ちもあれば、面倒くさくて何も言いたくない気持ちもあった。
だから俺はとりあえず、何も言わずに溜息だけを吐く。俺に好きな女なんて、いるわけがないのに。いるとしたら、誰だよ、それ。
自慢でも自虐でもないが、ここに入学するまで、女なんて母親くらいとしかまともに会話しなかったんだぞ。
故郷の奴らは、男だってそうだが、女は特に、あんたは言い方が怖いと、あんたって本当に人の気持ちを考えないと、よく俺を責めた。
ここに入学して、ようやく勘右衛門という友人ができて、ろ組の三人組とも仲良くなって。
だけどくのたまとは、女とは、やはりあまり関わる機会はない。俺が唯一親しくしているのは、一年生の頃から同じ火薬委員の三好凪。
どうにも、生きるのが下手そうな奴で、要領が良いようで悪い奴で、その笑顔には、なんとも妙な気分にさせられる女だ。
そこまで考えて、俺は思った。俺はひとつのことに、気付いた。ようやく、とも言うべきかもしれない。
三好凪との交流は、恥ずべきことでも隠すべきことでもなかったので、勘右衛門にもよく話していた。
じゃあ、勘右衛門の言っているあの子って、三好凪のことか。俺が好きな子って、三好凪か。
俺は三好凪が好きなんだろうか。そう考えて、案外すぐに答えは出た。そうなのかもしれない、と至って単純なものだった。
初めて会った時の挨拶で、不要な謝罪を口にしたことも、その際の不安そうな顔も、ずっと忘れられなかった。頭から離れなかった。
後輩に向ける笑顔も、その後に見せた泣きそうな顔も、忘れられなくて。放っておけなくて、俺らしくないけど、気付いたら助けてた。
三好凪に笑顔を向けられると、どうしようもなくなるのだって、きっとあれは、緊張していたのかもしれない。
俺は三好凪が好きなのかもしれない。そう思うと、なんだか他の同級生の奴らのこういった話題で、三好凪の名前が出たら嫌だなあと、ふと胸によぎった。
その、嫌な気持ちを抑えるのはどうしたらいいだろう。俺にはよく分からなかったので、とりあえず、未だにやにや顔がうるさい勘右衛門と、声でもうるさいろ組三人を、黙らせることにした。
そんなことがあった翌日に、委員会が行われたのは、よくもあったし悪くもあった。
三好凪に会えて、たぶん俺は嬉しかったのだと思う。だけど、目が合うと、緊張した。声が出なくて、目を逸らせなくて、ただ見つめることしかできなかった。
その日の仕事は、三好凪とは分かれて行ったから、よかったものの。このままだと、俺はまともに委員会活動ができなるかもしれない。
それは困る。とても困る。三好凪と、話ができなくなるのも、困る。三好凪と目が合うたびに、固まってしまっては、困るのだ。
それを解消するにはどうすればいいんだろう。どうしたらいいんだろう。俺は、何がしたいんだろう。
その日の火薬委員会は、思った以上に早く終わった。例の後輩だって、そろそろ火薬委員になって一年が経とうとしている。嫌でも仕事は多少早くなるものだ。
だから今日は俺の出番はなかった。最後まで、三好凪が面倒を見ていた。
火薬倉庫から去っていく後輩を見送った三好凪に声をかける、まだアルバイトまで時間はあるか、と。
少しなら大丈夫だとの返答だったので、"じゃあ付き合ってくれ"と、俺は言った。"どこに"、と少し目を丸くしながら、三好凪は答えた。
"そうじゃない。何処じゃなくて、そうじゃなくて。俺と。付き合ってくれ"。
俺のその言葉に三好凪は、固まった。しばらく、微動だにしなかった。だけど、徐々に顔が赤くなっていく。"なんで"、と、小さい声が、彼女の口から零れるように落ちた。
"なんで、って。そう思ったから。そうしたいと思ったから。もっと話がしたいし、委員会以外でも、話したいから、会いたいから"。
その時の俺は、本当にそう思っていた。そうすることが一番だと思っていた。それが正しいと信じて疑わなかったので、強気も強気だった。
"そういうことをするために、入学したわけじゃない"と、三好凪は困ったように言った。"そういうことって何"と、俺は聞いた。
"男の子と付き合うとか、そういうことをするために、入学したわけじゃない"と、三好凪はさらに困ったように答えた。"それだけになったら大変だけど、俺とお前なら、きっと両立できる"と、俺は言った。
それから少し、三好凪は黙った。再び口を開いたときには、また、"なんで"。そう言った。"だから、何が"としか、俺は言えなかった。意図することが、分からなかったから。
"なんで私なの"。本当に、本当に、何も分かってないような口ぶりで、不安そうな顔で、そう聞いてくるものだから。あれ、三好凪って本当は頭が悪いんじゃないだろうかと、疑った。
だって。そんなの。決まってるだろ。頭がいいくせに分からないのか。分かってくれよ、そんなの、と。俺はその思いを込めて、さらにじっと、三好凪を見つめる。
"好きだからだよ"、と。当然のそれを言えば、三好凪はなぜか心底驚いた顔をして、俯いた。その反応に俺だって驚いたし、顔が見えなくなるのは、少し残念だった。
またしばらくの静寂のあと、三好凪は呟いた。"たぶん、つまらないよ。私と付き合っても、つまらないよ"。それから長々と、独り言のような三好凪の言葉は続く。
"放課後も休日も、私はアルバイトばかりだから逢引なんてできないよ。アルバイトがないときは、大体実家に帰るから、本当に逢引なんて、できないよ。
私はくのいちになるから、絶対くのいちになるから、なによりもそれを優先するよ。友達の前で話をするもの、恥ずかしいからあまりできないと思うよ"。
そうやって、少なくとも俺にとって楽しくはないことばかり言う。そうまでされると、内心げんなりしてくるというものだ。
だというのに、まるでその機会を見計らったかのように、三好凪は顔をあげた。顔を赤くして、眉を下げて、だけど、笑って。俺を見ている。
"それでもいいの"、と。三好凪は、俺に、笑った。頬を赤く染めて、目にわずかに涙をためて、綺麗に笑った。
正直、あんまり、よくないけど。さっきの言葉に、ところどころ、あまりよくないところもあったけど。
いいよ。別にいいよ。それでもいいよ。あんまりよくないけど。でも、いいよ。
こんな顔見せられて、だめだって言える男、いないだろ。三好凪って、ずるい奴だ。なんてずるい奴なんだろう。
その笑顔が、その言動、どれもが、俺をこんなにも掻き乱していること、知っているんだろうか。
知っていたら、ずるいしひどい。知らなくても、それはそれで、さらにひどいしずるい。
完全に、三好凪の笑顔、言動行動に中てられてしまった俺は、もう何も言えなかった。
答えの変わりに、三好凪の手を握った。学園に入学するまでは農作業と家仕事、入学してからもアルバイトばかりの、彼女の手は、ところどころ傷があった。
だけど細い手だった。小さな手だった。その手で、俺の手を震えながら軽く握り返すのだから、やっぱり三好凪は、とてもずるい奴だと思うのだ。