六年生用と取り違えられた夏季休暇の宿題を、満身創痍になりながらもどうにかやり遂げた久々知兵助は、忍術学園校医の新野により適切な治療を受け、自室での安静を言いつけられていた。
久々知本人が自室に戻ることを希望し、目立った大きな外傷は右肩の矢による刺傷のみであったので、医務室での寝泊りは不要と新野が判断したからだ。
本日の授業は座学実技ともに、新野の指示に従い休んだ。ただただ横になるだけの時間を過ごす久々知は、体の痛みだけでなく胸中の澱みにも苛まれていた。
久々知に与えられた今回の宿題は、戦火のなかにあるナルト城の軒丸瓦を持ち帰ること。
本来与えられるべき六年生ですら苦労するであろうその宿題を、五年生の身でありながらどうにか久々知はやり遂げたのだが、彼に満足感や充実感などは皆無だ。
それがまだ取り違えられた宿題であると知らなかったとき、久々知兵助は己の力不足を呪った。
それが本来とは違う六年生用のものであると知ったとき、久々知兵助はやはり、己の力不足を呪った。
前者は、教師陣が選定した自分の器量に合っているのであろう宿題を上手くこなすことができず、例えようのない焦燥感に襲われたから。
そして後者は、六年生との一年の差、たった一年の差をまざまざと見せ付けられ、自分の未熟さを改めて突きつけられたようであったから。
久々知兵助は、文武両道の成績優秀な生徒である。本人もそれを自覚しているし、それに見合うだけの矜持も持ち合わせている。
だからこそ、彼は許せなかったのだ。悔しかったのだ。腹ただしかったのだ。それはもう、どうしようもないほどに。
いくら六年生用の宿題とはいえ、もう少し上手くできなかったのかと。こんなぼろぼろになり帰ってくるなど、恥ずべきことだと。
久々知の同室の尾浜勘右衛門は、"結局できたんだからいいじゃん"、"宿題はできたかどうかだけが重要で、兵助の体の具合なんて関係ないよ"ともっともな慰めの言葉を残して授業へ向かった。
久々知自身、尾浜のその言葉に同意する面はある。忍は忍務を完遂し、生きて帰ってくることが一番重要。それを、今回自分はできていたはずだと。
だけど、やはり。宿題だから、今回は矢の一本を喰らうだけで済んだのだろう。これが実戦であったら、自分は既に使い物になっていないはずだろう。
六年生用の宿題だなんて、免罪符になりはしない。だって自分は、優秀でなければならない。強くあらねばならない。だって、そうだろう、そうでないと――――。

「あ、ちょうど良かった兵助起きてるみたい。兵助ー、火薬委員のみんながお見舞いに来てくれたよー。入るよー」

散漫で曖昧になりつつあった久々知の思考は、戸の向こうから聞こえた尾浜のその言葉によりぶつんと中断された。
かけられた言葉の意味を理解し、率直に、久々知は嫌だと思った。見舞いなど御免だったのだ。
何が悲しくて、しかもよりによって自分なりに可愛がり、自分を頼れる先輩として慕ってくれている火薬委員会の後輩達に、こんな無様な姿を見られなければならないのか。
しかし久々知が否の返事をするよりも先に、尾浜が障子を開く。尾浜の後ろに横一列に並んでいる面々は、確かによく見知った、火薬委員会の後輩達。
だけどそのなかに一人、それに該当しない者を見つけて、その姿を認識した瞬間。久々知は無意識に、目を細め眉間に皺を寄せた。
舌打ちだけはどうにか我慢したのは、それはやはり、下級生も含む後輩達の前だからだった。

尾浜は部屋に入るなり早々と衝立の奥に身を潜めた。邪魔にならないよう気を使っているようだが、久々知としてはそれは余計なお世話でしかない。
久々知も久々知で、無言で火薬委員の面々を見渡すだけで、部屋へ招き入れる言葉をかけることはせず。
そんななか最初に行動を起こしたのは、最年長である斉藤タカ丸だ。"お邪魔しまーす"と小さく礼をして、先頭となり久々知の下へ歩み寄った。
それを皮切りに他の面々も全員が部屋に入り、久々知に近付き、布団の側に座る。そして各々見舞いの言葉をかけはじめた。
"ああ、髪の毛少し切っちゃった?あ、焦げてるところもある。今度整えてあげるね"と彼なりの気遣いを見せるのは、タカ丸。
"久々知先輩、大丈夫ですか?久々知先輩が大変なときに、伊助ってば校外学習に行ってるんですよ!"と後半後輩への愚痴になっているのは、池田三郎次。
"無理せずゆっくり休んでください"と言葉数が少ないのは、椿原茜。
そのどれもに、久々知は"ありがとう"とただ一言、ぎこちないわずかな笑みを浮かべて返すだけで精一杯だ。
タカ丸の言うとおり、一部乱雑に切れてしまい、一部は燃え焦げ、さらには梳かしもせずに下ろしたぼさぼさの髪。
人に見せるものではない夜着姿にくわえ、まさか布団に入ったままとはいかず、上体だけ起こしたことにより覗く腕や胸元は包帯まみれ。
そのどれもが、それを後輩達に見られることが、久々知の意地と矜持を踏みにじる。唇だけはどうにか弧を描いたまま、ぐっと奥歯を噛み締めた。
怒ってはいけない。怒鳴ってはいけない。見るな、帰れと、言ってはいけない。下級生もいるのに、そんな無体を働いては、いけない。
渦巻く感情をどうにか押さえ込むのに精一杯で、久々知はそれ以上は無言を貫き、俯きがちになってしまう。
そうなってしまっては。さすがの下級生達も、久々知の容態が悪いのかと、気を使う。タカ丸に至っては、自分達の見舞いが歓迎されていないことに気付く。
だから再びタカ丸が行動を起こす。"兵助くんもまだまだ疲れているだろうから、もう帰ろうか"と三郎次達に声をかけた。
それを本当にありがたく思い、素直に自分に頭を下げて帰ろうとする後輩達にも、久々知は心から安堵した。
けれど、一名。たった一名だけは、帰らなかった。タカ丸が戸を開け、最後に退室した三郎次がそれを閉めてもなお、ひとりだけ、来室者はこの部屋に残っていた。
それは、火薬委員会の後輩には該当しない者で。久々知がその姿を見つけて、思わず眉間に皺を寄せてしまった人物で。
未だずっとひとつも何の言葉も発さない、久々知の足元に正座する、三好凪だった。
凪は、久々知の恋人で、そして元火薬委員だ。そのどちらをとっても、こうやって見舞いを訪れることに違和感はない。
しかし、久々知としてはこの凪にこそ、見舞いになど来てほしくなかった。凪にだけは、この姿を見られたくなかった。
ぼろぼろで、怪我まみれで、無様で弱ったらしいこんな己の姿を。自分の恋人である、三好凪にだけには、絶対。それなのに。そうだというのに。
ふつふつ、と。先ほどまでずっと、どうにか押さえ込んでいた、飲み込んでいた、澱んだ激しい感情が。せり上がる、込み上げる。
久々知の体のうち、腹の奥は、煮立っていた。熱が出たわけでなく、傷口のせいでもないのは、明白であった。

「…………土井先生から、伝言。ちゃんと治るまで、委員会は休んでいいって」
「………………」
「一応、その間の兵助の代理は私になったから。三郎次は下級生だし…………タカ丸さんも、まだ入学したばかりだから、私が適任だと思って」
「……………………」
「…………私じゃ頼りないと思うけど、土井先生もいるし。委員会のことは、心配しないで」
「…………なんで来た?」
「え……?」

最中ずっと、久々知と凪の視線は交わらない。
凪は自身の膝あたりをじっと見つめ、久々知も深く俯いているからだ。
けして互いを見ようとはしない。けして目を合わせようとはしない。
凪は、ある程度久々知の心境を察していたからだ。見舞いを歓迎する性質ではないことも、おそらく矜持から己を不甲斐ないと責めているであろうことも。
だからできるだけ彼を見ないことが凪なりの配慮であり、そしてやはり、ぼろぼろな恋人の姿はどうしたって彼女の胸を痛めるからだ。
久々知の方はと言うと、そうすることしかできなかったからだ。俯くことしかできない。凪の姿を、見ないように努めることしかできない。
まともに彼女を見てしまっては、きっと自分のなかの箍が外れる。それはいけない、安静にしろと、新野先生にきつく言われているのだから。
そうやってどうにか平静を保とうとする久々知だが、息はわずかに震え、胸のうちに蔓延るどろどろとした熱は、一向に冷めてくれそうにない。
それどころか、零れ落ちる。言葉となって、吐き出されてしまう。

「そんなこと、三郎次にでもタカ丸さんにでも、伝言を頼めばよかっただろ」
「………………」
「なんで来たんだよ。笑いにきたのか」
「……そんなわけ、ない」
「じゃあ、なんで」
「…………来ないほうが、いいとも思った。だけど三郎次達が、誘ってくれたから…………だって、やっぱり、心配だったから」
「心配だから、何だっていうんだよ」
「………………」
「お前が見舞いにきて、俺の傷が癒えるか?治るか?違うだろ、余計なお世話なんだよ」
「はいそこまで。三好さん、兵助嬉しいってさ。でも兵助ってご存知のとおり口下手だからさ?こんな言い方になっちゃってるけど。ごめんねー」

ぴりぴりと今にも張り裂けそうな二人の間の空気を断ち切るかのように、それまでずっと気配を顰めていた尾浜が唐突に口を挟んだ。
衝立からひょっこり顔を覗かせ、立ち上がり、ぽんぽんと凪の肩を叩き、そして帰ることを促すかのように戸を開く。
凪もこれ以上の長居は良しとせず、素直にそれに従った。尾浜に礼を言いつつ、部屋を去ろうとした、その瞬間。
尾浜が戸を閉める最中、その一瞬の合間、凪は久々知の方を見た。久々知も、凪を見ていた。ようやくこの日、二人は目を合わせた。
久々知はひどく機嫌の悪そうな顔で、凪を睨んでいた。その表情を見て、そして改めて怪我まみれの姿を見て、凪はずきんと胸が痛んだ。
凪は今にも泣き出しそうな顔をして、久々知を見つめていた。その表情を見て、久々知もずきんと、胸と、そして何故か下腹のあたりが痛んだ。
二人の視線が合ったのは本当に一瞬で、尾浜が戸を閉めたことによりそれは遮断されてしまった。

「…………あー……」
「…………」
「俺もちょっと、出てくるね」

今しがた自分で閉めた戸を再び開いて、尾浜も部屋を出て行ってしまう。
久々知としては先ほど自分の心境を勝手に捏造し凪に代弁したことについて言ってやりたいことがあったが、一人になりたい気分でもあるので引き止めることはしなかった。
少し前まで大人数がいた部屋に、今はひとりきり。しいんと静まり返る部屋にひとつ安堵の息を零し、久々知はのろのろと布団の中に戻り横になる。
そこで彼は気付いた。ようやく自分の体に起こった、異変に気付いた。
もしかして、まさか、勘右衛門はこれに気付いていたから、部屋を出て行ってくれたのでは。そう考え、久々知は思わず声にならない呻き声をあげた。
彼の下半身は熱を持っていた。彼の雄の部分は、彼の意思と関係なく、しっかりと怒張していた。
ふざけるなと自分を叱責しつつも、いやしかし致し方ないと同時に彼は自分を肯定する。そうせざるを得ない。
だって、そうだろう。ここしばらくはずっとひたすら宿題だけをしていた。その宿題では生命の危機に瀕した。そしてつい先ほど自分の恋人に会ってしまった。
その三つが揃えば、十四の男ということもふまえて、仕方がないだろうと。久々知は思考する、言い聞かせる。そして目を瞑った。
さすがにまだ身体中が怪我により痛んでいるし、先ほどから頭までも痛くなってきた気がするので、それを処理してやる気にはなれなかった。
だからこうやって目を瞑って、無理にでも寝てしまおうと思ったのだ。それをすることも、自分を叱責することも、何をすることも。もう、久々知は心身共に疲れ果てていた。
だというのに。視界に広がる暗闇に、ふと凪の姿が浮かぶ。先ほどの、自分を心配そうに、泣きそうに見つめていた凪の姿だ。
それを思い出した瞬間、下腹の熱がさらに増し、大きく脈打った気がした。久々知はそれに、今度は誰にも遠慮することなく、大きな舌打ちを落とした。


それから一週間ほどで久々知の容態はすっかりよくなり、傷口も十分に塞がった。
座学には早々、実技にも少し遅れて復帰し、本日は委員会にも顔を出していた。
彼の復帰を喜ぶ後輩達に囲まれ、無事委員会活動も終えた頃のことだ。
顧問の土井より、久々知はとある報告を受けた。寝耳に水のそれは、彼に熟考の暇を与えてはくれなかった。
すぐさま部屋に戻り、天井裏に忍ぶ。その最中、久々知は寝そべり本を読んでいた尾浜を"黙ってたな"と睨んだが、彼は"余計なお世話でしょ?"とそ知らぬ顔だった。

天井裏の罠をかいくぐり、目当ての部屋にたどり着いた久々知は、声をかけることもなく当然のようにそこへ降り立った。
その部屋の主は、突然現れた久々知に当然驚きぱちくりと目を瞬かせている。部屋には彼女ひとりで、同室相手がいなくて丁度よかったと、久々知は内心思った。
部屋中を見渡したかと思えば、すぐさま久々知は彼女に視線をうつす。頭のてっぺんから爪先まで、一気に見定めるような視線は、すぐさま彼女、三好凪の左腕に巻かれた包帯を捉えた。

「え…………なに…………あ……、天井裏も、通れるようになったのね、よかった」
「……委員会で、火傷したって聞いた」

先ほど久々知が土井から聞いた話はこうだ。
久々知が不在の間の火薬委員会の活動で、下級生用の威力の弱い宝禄火矢を作る作業中、一番危険な仕上げ部分を担当をしていた凪が火傷を負ったと。
下級生が行った火薬の軽量間違いによって起きてしまったそれは、けして大惨事にはならなかったが、委員会中の事故であることに違いはない。だからこそ委員長代理である久々知に報告されたのだ。
火傷という怪我そのものは、久々知にとって馴染みのないものではない。むしろ身近にある、慣れ親しんだ部類のものだ。
火薬委員会で活動をしていれば、どうしたってそれが付きまとう。それ以外にも授業や、それこそ先日の宿題の際にだって彼は火傷を負っている。
だけど火傷を負ったのが、三好凪であるというのなら。彼女であるのなら、彼のなかで、話は別だった。だから久々知はこうやって、凪の元へ訪れた。

「した…………けど、たぶん、痕にもならない程度の、軽いものだから」
「その、左腕?」
「え……ああ、うん。そうよ」
「見せて」

久々知は凪の正面に座り込み、そっと凪の左手を取る。同じく慎重に袖を捲くり、手首から肘にかけて、包帯が巻かれていることを確認した。
本物の宝禄火矢の事故であれば、これだけの範囲で済むはずがないことを、久々知は勿論知っている。
下級生用の宝禄火矢なんて、ほとんど煙玉のようなものだ。火薬はほんのわずか、子供だましにもならない程度。それだって勿論、久々知は知っている。
だから今の凪の言葉どおり、きっと痕にも残らない程度の火傷であることも、久々知は分かっているのだが。
凪の火傷の話を聞いてからずっと彼のなかにある、澱みは、熱は、おさまることはない。それは少し、先日の自身が大怪我した際抱いたものに似ていた。

「解くよ」
「え…………え?どうして?」
「見せてって、言っただろ」
「やだ。やめてよ」
「なんでさ」
「なんでって…………」

凪は、思わず左手を引っ込めた。それを無理やり追わないのは、久々知なりの配慮だ。程度が軽いとは言え、彼女は火傷をしているのだから。
けれど退く気は毛頭ない。自身の目で、凪の怪我の具合を確認しなければ、久々知は納得できなかった。
本当に、大丈夫だとは思うが。ひどいものではないと思うが。軽いものだとは、思うが。
凪が、強がる女であることを、久々知は知っていた。誰にも、恋人である自分にですら、弱さを見せてはくれない女であると、悔しいほどに知っていた。
その強がりが、いつだって久々知を苛めていることを、凪は知らない。
自分が弱いから、凪は強がってしまうのだと。自分が強くないから、凪は弱いところを見せてくれないのだと。久々知が思っていることを、凪は知らない。
その感情が由縁して、彼本来の矜持をより強めてしまっていることも。だからこそ、六年生用の宿題を無事こなせなかったことを必要以上に責めたことも。
彼女に頼られる男になりたいから、彼女だけには弱い姿を見られたくないのだと、久々知が強く思っていることも。
凪は知らない。久々知本人ですら、知らない。彼はまだはっきりと、そんな自分の感情を、自覚していない。

「………………兵助が、見たところで、私の火傷が癒える?治る?」

その言葉に、久々知が一瞬眉を顰めてしまったのは、致し方ないと言うべきか。
覚えのある台詞だった。誰でもない、自分が、凪に向けて放った言葉だった。
当てつけか、と久々知は瞬時に思った。そして少し、腹が立った。
けれど、そうさせてしまうほど、この言葉は凪を傷付けたのだろうかと、久々知は少しだけ悔やんだ。

「治らないよ」
「……だったら、」
「でも、俺は安心できる」

凪は、息を飲んだ。続けて、真っ直ぐ自分を見つめる久々知がどうにも居心地が悪くて、顔を俯かせた。
凪と視線が外れた途端、再び久々知は凪の左手をそっと、うやうやしく取る。
何度、何遍見ても、そこには包帯が巻かれている。その光景は、確実に、的確に、久々知の胸を痛める。
その理由が、感情が、心配であることを。久々知も、分かっていた。それくらいは、彼も、知っていた。

「凪も、そうだったなら、ごめん」
「………………後輩達には、優しかった」
「後輩にはできるだけ優しくするべきだろ。ましてや、三郎次達なんて下級生なんだし」
「………………私は後輩じゃないから、優しくしてくれないの」
「そうだよ。凪は俺の後輩じゃない、俺の恋人だ。だから、嫌だったんだよ」
「……………………わかってる。でも、心配だったの。ひとめ、無事な姿、見たかった」
「うん。だから、ごめん」

"凪"、と。低く優しい声色で、久々知は彼女の名前を呼ぶ。
穏やかだけれど、どこか強さのあるそれに逆らえず、凪がおそるおそる顔をあげれば、再び二人の視線が間近でかち合う。
相変わらず、久々知はずっとじっと、凪を見つめていた。
彼が、強くなりたい一番の理由であるその人を。そして、だからこそ、彼の一番の傷に成り得てしまうその人を。

「ほどくよ」

今度は、凪は手を引っ込めなかった。ただ無言で頷くだけだった。
それを確認して、久々知はそっと、丁重な手つきで包帯の結び目をほどく。
ゆるめられ、あらわになったその肌には、わずかに赤らんではいるが、程度はたいしたことのない火傷。
それが、久々知の胸の痛みをわずかに和らげた。しかしその光景は、すぐに彼の視界から消えてしまう。

「…………無事で、よかった」

そう、わずかに声を震わせながら、凪が久々知に抱きついたからだ。
片方は火傷をしている両腕で、彼の背に腕を回す。その力が遠慮がちなのは、久々知の刺傷を気にしているからだろう。
その抱擁、その声、その言葉、その力。すべてがさらに彼の胸の痛みを和らげる。
久々知も、凪を抱きしめる。あたたかく、細く、そして柔らかい凪の体。自分も、凪も、生きている。
既に、久々知の胸にも肩にも、どこにも痛みはなかった。泣き出してしまいそうな愛しさだけが、ふたりの胸にあった。