「伊賀崎先輩、こどもってどうつくるんですか?」
生物委員会での活動中、そんなことを尋ねてきたのは後輩のうちの誰かだった。
"誰か"とその人物を特定できないのは、なにも僕が後輩たちのことを未だに把握していないからではない。
そりゃあ後輩が四人も一気に入ってきた当初は、全員が同じ浅葱色の装束を着て、全員が似たような丸い目をしているものだから見分けは困難だった。
だけど僕も今は四年生。四人の後輩たちは二年生。ともに委員会活動をするようになって一年が経つ。
そうなればあまり後輩たちに興味はなくとも、どれが三治郎、どれが虎若、どれが一平、どれが孫次郎かなんて、いやでもわかるようになるというものだ。
だというのに、今僕に声をかけてきた後輩が誰なのか特定できなかったのは、その声が二重になっていたからだ。
だから、わからなかった。誰と誰なのか、わからなかった。これについて僕のことを"先輩のくせに薄情だ"と責めるやつはいないだろう。
ふと、竹谷先輩ならわかるだろうかと考える。今の二重の声が、誰と誰のものであるのか、それぞれ聞き分けられるのだろうか。
この場にいない、今は正真正銘生物委員長となった竹谷先輩。委員会活動開始の時間になっても姿を見せない木下先生を探しにいったその人なら、わかりそうな気がした。
あの人はとても後輩を可愛がっている。一日も経たず四人の後輩たちを判別できるようになったかつての日、初めて彼を尊敬のまなざしで見た記憶を思い出す。
…………ちなみにありがたくも迷惑なことに、その"可愛がってる後輩"に僕が含まれていることも事実であった。
「伊賀崎先輩?聞こえてますか?」
再び僕にかけられた声。今度のそれは、誰のものかすぐに判断がつく。
三治郎だ。今は三治郎がひとりで喋ったから、判別に何も問題はなかった。
ここでようやく、僕は後ろに振り向く。声のした方に、顔を向ける。そこにはそろってしゃがみ込み、狼小屋を覗いている四人の後輩たち。
改めてこう見ると、やはり四人は似ていると思う。以前竹谷先輩には"全然似ていないだろ!"と笑い飛ばされたけれど、僕にとっては特に笑える話でもない。
左から…………一平、孫次郎、虎若、三治郎。それで合っているとは思う。
だけどこれよりも、カメムシ越冬隊のみんなを見分ける方がよほど簡単だし心も踊る僕のことを、ひとは"毒虫野郎"と揶揄するのだった。
「伊賀崎せんぱーい?」
「伊賀崎先輩も知らないのかな?」
「い組の先輩に知らないことなんてあるわけないよ!」
「…………成績別なのって、うちの学年だけらしいよ~」
やいやいやいやい話し始めてしまった四人を少しやかましく思いながら、僕はようやく今このときの現実に目を向ける。
確か今僕は、後輩から質問をされていた。その質問主は誰と誰だったかは今も、多分今後一生わかることはないだろうけどそれは置いといて。
その質問に僕がなかなか答えないものだから、こうやって目の前で後輩たちが騒ぎ始めてしまったらしい。
ええと、なんだっけ。質問された内容は、なんだったかな。正直、あまりちゃんと聞いていなかった。
そうだ、こども。こどもがどうとか言っていた気がする。
不意に、四人のやかましい後輩たちから視線を移す。先ほどまで四人がのぞき込んでいた狼の飼育小屋。
そこには先日、子狼、こどもが生まれていた。飼育中ということで殺気立っているので、現在この狼小屋には狼たちに一番懐かれている竹谷先輩しか入れない。
「………………こどもが、なんだって?」
「聞いてなかったんですか、伊賀崎先輩~」
「こどもって、どうつくるんですか!」
「子狼が生まれてから、気になってしまって」
「教えてください~…………」
知らないのか、というのが素直な感想。
"あほのは"だとか言われている三治郎と虎若はまあ、順当として。そうではない孫次郎、むしろ優秀らしい一平すらも、知らないのか。
そんなことも知らないで生物委員をやっているのかと少し不安に思う。こんな未熟者たちに世話をされる、いとしい生物たちへの心配だ。
だけど、どうだっただろう。自分自身が二年生だった頃、僕は既に生物の繁殖方法を知っていただろうか?
なんとなくは知っていたかもしれないが、詳細までは知らなかったかもしれない。
となると二年生くらいの年頃ならば、知っていなくてもおかしくはないのかもしれない。
だけど生物委員を務めているのならば、知っていた方がいいだろう。曖昧もしくは無知な状態で生物たちの世話をするのは、双方にとってよくないはずだ。
「交尾」
僕が簡潔に一言そう答えるのと、竹谷先輩が"おーい"と少し遠くから声をかけてきたのはほぼ同時だった。
僕も後輩四人も一斉にそちらを見ると、小走りでかけよってくる竹谷先輩の姿。そこに、探しに行ったはずの木下先生の姿はない。
竹谷先輩は僕たちのもとにたどり着くと、一番近くにいた虎若の頭を当然のように意味もなく撫でる。
その一連の動作があまりにも自然すぎて、純粋にすごいなと思った。僕は後輩たちを撫でたことも、撫でようと思ったこともない。
「木下先生、緊急の職員会議だった。今日は俺たちだけでやるようにってさ」
「そうですか。じゃあ僕は毒生物の小屋の確認と掃除を」
「ああ、頼む。虎若と三治郎は小動物、一平と孫次郎は毒のない虫たちを頼む」
竹谷先輩から支持をもらう前に自分が受け持つ分を告げると、特に反対はされなかった。
当然と言えば当然だろう。毒生物の世話はまだ僕か竹谷先輩、もしくは木下先生しかできない。
基本的に毒生物は上級生になってから受け持つことになっている。
だけど僕は個人的に毒生物を飼っていることもあり、特別に下級生の頃から委員会活動でも毒生物の世話を受け持っていた。
毒生物たちの飼育小屋は、この狼小屋やすぐ近くの小動物、馬小屋などとは少し離れた場所にある。
いとしいあの子たちのもとへ向かうため、歩みを進めた。その足取りは、当然のように軽い。
「竹谷先輩~その前にひとつ質問、いいですか?」
「ん?なんだ、三治郎」
「こうび、ってなんですか?」
「は、はあ!?!?!?だっ、誰だそんな言葉教えたの!」
「伊賀崎先輩です~」
「まごっ…………孫兵!ちょっと待て!」
だというのに、背後から呼び止められ、それどころか肩を組むように掴まれてしまった。
誰にって、考えるまでもない。さっき素っ頓狂な声で僕の名前を呼んだのは、竹谷先輩のものだった。
竹谷先輩はそのまま僕を押すように歩き出す。幸い、そっちは毒生物小屋の方向なので僕は逆らわずに足を動かす。
しかし十歩ほど歩いたところで竹谷先輩は足をとめ、ぐっとさらに僕の肩を引き寄せた。
それによってわずかに顔に竹谷先輩の髪がかかる。ごわごわとしたそれは、お世辞にも肌触りがいいとは言えない。狼たちの剛毛のほうがマシだった。
「孫兵、なんだよ。こ、こ、交尾って」
「近いです。竹谷先輩」
「大きな声じゃ言えないだろ。なんだよ、交尾って」
「四人に、こどものつくりかたを聞かれたので」
「はあ?」
「狼を見て、気になったみたいですよ」
「ああ…………だからってなあ孫兵…………交尾って…………」
何を気にしているのか小声で喋りかけてくる竹谷先輩に合わせて、一応僕も声を抑える。
ひととおり説明をし終えると竹谷先輩は"はあ~"とため息をつきながらがっくり頭を下げた。
それによって余計僕の顔に剛毛がかかる。逃げるように顔をそむけると、だいぶ後方に後輩四人の姿。
おそらくあの四人から竹谷先輩は離れたくて、そして話を聞かせたくないから、声を小さくしているのだろう。
今までの会話から察するに、"交尾"というのが駄目だったらしい。あの四人に、聞かせたくないらしい。
「…………わかったよ。あいつらには俺が適当にごまかしとく」
「……誤魔化す?」
「だってまだ早いだろ。"交尾ってどうやってするんですか?"なんて聞かれたら、どうするんだよ」
「それは生殖器が…………」
「だ~、もう。わかった。わかったから。俺に任せとけ」
がしがしとやや乱雑に頭を撫でられる。頭全体がぐわんぐわんと揺れるので、正直やめてほしかった。
"やめろ"と訴えるよりも先に竹谷先輩は僕から手も体も離し、さっそうと後輩たちの方へと去っていく。
少し乱れてしまった髪を整えながら、僕は考える。何をって、さっきの竹谷先輩の言葉だ。
どうやら、僕の答え方は駄目だったらしい。後輩たちからの質問、こどものつくりかたについて、僕は答えを間違えたらしい。
何故だろう。何が駄目だったのだろう。だって間違っていないじゃないか。生物の繁殖方法は交尾じゃないか。
間違った知識を教えたわけでもない。適当にかわしたわけでもない。ましてや無視をしたわけでもない。
僕にしては珍しく、まっとうに先輩らしく、後輩からの質問に答えてやったじゃないか。
いったい何が駄目だったのか見当もつかず、僕は途方にくれるしかない。
竹谷先輩は"まだ早い"と言っていた。二年生に交尾の知識はまだ早いということだろうか。生物委員なのに?
もう一度背後に振り向くと、そこには四人の後輩たちと、それにまとわりつかれている竹谷先輩。
当然ながら、後輩たちは僕よりも竹谷先輩の方に懐いている。
それは別にいいのだけど、だったら最初から竹谷先輩に聞いてほしかったと内心ごちる。
四人と竹谷先輩に向かって軽くため息をつくと、僕は無駄に考えることをやめて再び歩き出した。
このなんともいえない、鬱憤とまでは呼べないくすぶりを、いとしい毒生物たちに癒してもらおうと思いながら。
「…………孫兵くん」
毒生物の飼育小屋の点検と掃除を終え、毒生物たちと戯れていたところ、背後から控えめな声が僕を呼んだ。
誰だ、と考えるまでもない。この学園で、僕のことをこのように呼ぶ女の声は、たったひとりしかありえないからだ。
自分でもわかる、毒生物たちに向けていた穏やかな顔。それをそのまま、彼女に向ける。
思った通り、そこには彼女がいた。八神紗枝。白すぎる肌、眩しい白髪、鮮明な赤い瞳。
僕は本物にお目にかかったことはないが、縁起物と呼ばれる白蛇。それとそっくりな色をした彼女を、僕は可愛がっていた。
そう、ジュンコやこの毒生物たちと同じように。愛玩動物のひとつ、僕にとっての白蛇として、僕は彼女を愛でていた。
「紗枝。どうしたの?こんなところにいるなんて珍しいね」
「…………うん。孫兵くんに用があって。実習、なんだけど」
「実習?くのいち教室の?」
「うん…………今日、焼き菓子を作ったの。それを忍たまに受け取ってもらう実習…………」
おずおずと懐から差し出されたのは、綺麗に包装されたわずかに甘い匂いが漂うもの。
その中身は、今彼女が言ったように焼き菓子なのだろう。
とりあえず、それを受け取った。くのたまから物を、ましてや手作りのものをもらうなんて危険極まりない行為だが、僕と彼女に限っては別だ。
紗枝は僕の白蛇。僕は彼女の飼い主。彼女が僕に、牙をむくはずがないのだから。
「上級生になったっていうのに、随分と簡単な実習だね」
「くのたまは普段、忍たまをいじめてるでしょう?そんな相手に、無理やりじゃなく自主的に受け取ってもらうのが目標だって」
「ふうん」
「弁論で説得してもいいし…………色仕掛けでもいいみたい。後から先生が確認に来るの、無理やり渡されてないかどうか」
「なるほど。わかったよ、シナ先生にはありがたく受け取ったと伝えておく」
紗枝の言う通り、普段くのたまは忍たまをいじめている。陰険に、時折過激に。
そんな相手から手作りの食べ物を渡されても、素直に受け取る忍たまなんているはずがない。よほどのおひとよしか、ばかだ。
それをどうにか穏便な方法で突破するのが、今回くのたまに課せられた実習らしい。
なかなか難しい実習だと他人事のように思った。まあ、事実他人事なのだけど。
だって僕は紗枝以外のくのたまに焼き菓子を渡されても、受け取らない。受け取るはずがない。
どんな頭のきれる説得をされたって、聞き入れる耳は持たない。それこそ色なんてかけられたって、気味が悪いだけだ。
「それじゃあ、孫兵くん委員会中みたいだから…………またね。お邪魔しました」
軽く頭を下げてこの場を立ち去ろうとする紗枝。思わず反射的に、その手をとった。
僕はよく肌が白いと言われるけれど、そんな僕よりもずっと白い手。
その形、輪郭を確かめるように、指先でなぞった。不思議なことに、けれど当然なことに、それは人間の手の形をしている。
それをこうやって実感するたび、僕の頭のかたすみ、心のどこかはずきんと軋む気がする。その理由は、わからないけれど。
「え。な、なに?孫兵くん」
「………………」
心底困り切った顔をしている紗枝。それはなにも、僕にこうやって触られるのが嫌なわけではない。嫌がるはずがない。
紗枝はふだん、めったにくのいち教室から出てこない。その特殊な見た目を嫌って、人目を徹底的に避けているのだ。
だから今だって実習をこなすため、決死の思いで出てきたのだろう。きっと泣きそうになりながら、僕を探していたのだろう。
なので用件が終わったのなら、紗枝はさっさとくのいち教室に帰りたいのだ。だからこんな困った顔をしているのだ。
ここは毒生物の飼育小屋前ということもあり人通りは少ないが、だからって誰も来ない場所というわけでもない。
「孫兵、くん?」
「…………紗枝は」
「う、うん」
「紗枝は………………こども」
僕は紗枝が好きだ。僕は紗枝を愛でている。白蛇に似ているから。白蛇の代わりに。白蛇として。
だから無駄に怯えさせたくはない。無意味に困らせたくはない。彼女の意図を汲んで、今すぐくのいち教室に帰らせてやった方がいいのだろう。
だけどそれができないのは、どうしてか。僕の脳裏に、胸のうちに引っかかっているのはなにか。
どうやら僕のなかにはまだくすぶっていたようだ。後輩たちからの質問、せっかくそれに正しく答えてやったのに、"間違っている"と咎められた。
それが未だに、僕のなかで消化しきれず残っているのだろう。どうやら今日の僕は、みょうに執念深いらしい。
「こどものつくりかた、知ってる?」
「え……………………えっ?」
「さっき、後輩たちに聞かれてね。二年生は知らないみたいだ」
「……………………」
「紗枝は、知ってる?」
尋ねながら、指と指を絡めるように彼女の白く細い手を握りしめた。
ひとの手だった。人間の手だった。彼女は白蛇なのに。いいや、そもそも蛇に手はないのだ。
では、何故紗枝には手があるか。それは彼女が人間だから。人間のかたちをしているから。
僕はあまり人間が好きではない。だけど紗枝のことは好きだ。だって彼女は、白蛇に似ているから。また、どこかが軋む気配。
「………………知ってるよ。もう、四年生だからね」
その答えに、驚きはなかった。彼女のいうとおり、僕たちはもう四年生、上級生だ。
実習のためなら"色仕掛け"も使うと、先ほど言っていた。
それならこどものつくりかたを知っていてもおかしくはない。その方法を知っていても、何も。
僕は先ほど後輩たちの質問に"交尾"と答えたけれど、それが人間の場合には適さない言葉であることくらいは知っている。
だけど後輩たちは子狼の誕生について不思議に思っていたようなので、それならば答えは"交尾"で正しいだろう。
そしてそれならば。この目の前の紗枝が、こどもをつくるとなった場合。
その場合、その行為はなんと呼ぶのだろう。人間だけど、人間の扱いをされることのなかったという紗枝。
人間だけど、白蛇に似ている紗枝。僕にとっての白蛇。彼女のそれは、"交尾"と呼ぶのが正しいのだろうか。
「そう。そうだよね、四年生なら知っているよね」
「うん………………」
「紗枝のこどもなら、きっと…………きっと可愛いね」
今までたくさんのペットたちがつがいになって、子を成してきた。僕はそれが嬉しかった。
ペットじゃなくても、生物委員会で飼育している動物たちに子ができても、それなりに嬉しかった。件の小狼だって例外ではない。
じゃあ紗枝の場合でも嬉しいのだろうか。紗枝が他の雄とつがいになり、子供ができたら、それは嬉しいのだろうか。
嬉しいのだろう。嬉しくなければいけないのだろう。彼女は僕の白蛇、愛玩動物のひとりなのだから。
それに寂しさや、ましてや嫌悪感なんて感じてしまうのは、おかしいのだ。
嬉しく思わなくては。その生まれたこどもも、愛しく思わなくては。たとえそのつがいが、僕でなくとも。
だってそうだろう。紗枝は僕の女ではない。僕は紗枝の男ではない。紗枝は僕の白蛇である。ただそれだけだ。
「あ、ありがとう………………でも、わたし、こどもはいらない、かな」
その紗枝の言葉は、僕も同意できるものだった。
僕もこどもはいらない。自分のこどもはいらない。そのためのつがいも、行為もいらない。僕には必要ないと、心底思っている。
紗枝もそう思っているのだろうか。ペットは飼い主に似ると言う。そうならば少し微笑ましく思えた。
微笑ましく思えるだけで、よかった。紗枝の言葉に、寂しさを覚えるなんて、きっとおかしいのだから。
その寂しさの理由が今の僕にはよくわからずとも。その寂しさの存在自体を認めぬように、僕はそっと蓋をした。
二度とその寂しさの蓋が開かないことを、心の底から願って。ずきずきと、紗枝と会ってから一等強い軋みが、僕をひどく責めたような気がした。