鶴町伏木蔵という男は、自他共に認める恋仲の相手である村雲旭という女を美しいと思ったことがない。
外見については勿論、内面についても、だ。一度として、村雲旭を"美しい"と、彼女に向けてそういった感情を抱いたことはなかった。
鶴町伏木蔵曰く、外見はそれなりに整ってはいるらしい。けして醜くはない見目をしていると。言うならばつまり、及第点であるのだそう。
同じく鶴町伏木蔵曰く、中身は最悪、とのことだ。己ほどではないが、性格が悪いと。潔癖なところや甘いところがあるが、それはけして美点ではないと、鶴町伏木蔵は語る。
しかし先日初めて、鶴町伏木蔵は村雲旭を美しいと思った。彼女の、美しいところを見つけた。それは男女の睦み合いの最中に見つけたものであった。
元々、目を奪われるものではあったが、と。鶴町伏木蔵は内心誰に向けずとも思い返していた。
その美しい点を、先日の情事の際に改めて見つめて、触れて、ああやはり美しいと。鶴町伏木蔵は思ったのだ。
そしてそれはあまりまともではない形で、村雲旭本人に伝えられようとしている。ある日の、彼女が医務室当番を担当する夜のことであった。
「……村雲が死んだときの話をしようか」
のっけからまともではないなと、その話題を振られた張本人の村雲旭は思った。
一人で医務室当番を行う夜には、いつだって日付が変わる頃に鶴町伏木蔵が訪れる。そして朝方まで共に医務室で過ごす。
いつからかそれは恒例となっていたので鶴町伏木蔵の登場に驚く彼女ではないが、開口一番のその話題にはさすがに驚愕するしかない。
"こんばんは"の挨拶もなく、"調子はどう?"の気遣いもなく、"訪客はいる?"の確認もなく、まことに開口一番、これである。
驚愕と、嫌悪の感情を隠すことなく滲ませた瞳で、村雲旭は正面の男を睨む。その視線をものともせずに、鶴町伏木蔵はそのまま座り込んだ。
村雲旭が嫌悪を抱いた理由は、単純明快。己の死についての話を、神妙なものならばまだしも、いつもと変わらぬにたにたとした顔から振られたからだ。
彼女は"死"というものについて潔癖だった。"死"というものに未だ慣れない、甘さがあった。それを鶴町伏木蔵は、けして美点とは思えなかった。
「やめて」
「そういわれたら、なおさらやめない」
「性悪」
「自己紹介?」
「うるさい」
村雲旭が、もうすっかり手をとめてしまっている薬草作り。その為に使われる鉢を挟んで、男と女は向かい合っている。
再び作業をはじめたのは、元々行っていた村雲旭ではなく、鶴町伏木蔵の方だった。
恋仲、でもある村雲旭を気遣っているわけではない。手伝いをしているわけでもない。鶴町伏木蔵は、今の己の行為を心からそう思っている。
鶴町伏木蔵は、元々怪我人や病人を直接診るよりも、こうやって薬を作る方を好んでいた。ただ、それだけのことだった。
「君が、死んだら」
ごりごり、と。薬草を潰しながら、鈍い音を奏でながら、鶴町伏木蔵は拒絶されたにも関わらず話を続ける。
薄暗い室内で、さらに彼の視線は潰される薬草に真っ直ぐ向けられているものだから、気付いたかどうか定かではないが女の眉間にさらに皺が寄る。
これみよがしに溜息を吐かれても、鶴町伏木蔵は何処吹く風。むしろさらに、携えた笑みを深めるだけだった。
「コーちゃんにしてあげてもいいよ」
「…………は?」
村雲旭が発したその一言、一音は、今度は不快も驚愕も含まない。ただただ純粋な疑念だけのものだった。
何を言っているのだ、と。続けそうになって、女は口を噤む。"コーちゃん"という単語に、聞き覚えがあったからだ。
それは、なんだっただろう。ああ、そうだ。それは。幸い、村雲旭は頭の出来は悪くない。だからすぐにそれを思い出せた。
鶴町伏木蔵と村雲旭が今過ごす、この医務室。そこには白骨標本が一体、いつだってそこに身を置いている。
二人が一年生の時に、当時の保健委員長であった善法寺伊作の私物であり、置き土産だ。とんでもない置き土産だ、と内心保健委員全員が思ったことは別の話として。
その骨格標本の本名は、コーちゃんと言う。本名も何もないと思うが、善法寺伊作も、その後を継いだ三反田数馬も、むしろ村雲旭以外の全員が、彼をその名で呼んでいた。
コーちゃんにしてあげてもいいって、なに。
次に村雲旭が、そう言いたくなってしまったのは無理もないだろう。それは、声になることはなかったが。再び彼女が飲み込んだからだ。
彼女はもう一度、彼の言葉を反芻してみた。噛み砕いてみた。尋ねる前に、理解しようとしてみた。
コーちゃんは、骨格標本。それにしてあげてもいいよと、男は言った。
"あげても"ということは、おそらく、彼が自らそのための作業を行う、ということだろうか。女は、推察する。
しかしなんとも上から目線である。村雲旭はこれまで一度も、そう胸のうちですら、骨格標本になることを望んだことなどないというのにだ。
「…………趣味が悪い」
ようやく、村雲旭の口から音として発されたのは、その一言だった。
彼女は骨格標本の作り方など、そう詳しくは知らない。けれど、なんとなくならば分かる。
死体の皮を剥ぎ、肉を削ぎ、骨だけにする。それを頼まれてもいないのにわざわざ行おうとするのは、些か趣味が悪すぎる。
ちなみに、コーちゃんは作り物だというのは、善法寺伊作の談だ。そうでないと色々おかしいのだが、あまりにも精密すぎる件については誰もあえて触れない。
「別に猟奇的な趣味があるわけじゃないよ」
「嘘だ。だったら何で」
「君の、骨がね」
鶴町伏木蔵は、薬草を潰すその手をとめず、視線だけを村雲旭に向けた。
澱んでいて、だけど真っ直ぐな瞳だった。相反する確かな色を、いつだってこの男は瞳に孕んでいる。
それが、気味が悪いとも思うし、どうにも惹かれてしまう。自分だって、なかなかに趣味が悪いと、村雲旭は苦く思う。
「特に、鎖骨。次は肋骨。形が綺麗だったから。だから、そのまま残してあげようかなって思ったんだ」
ただそれだけだよ、と。鶴町伏木蔵は視線を再び薬草に向け、それを無残ともいえる形にさらに潰していく。
その言葉を受けた村雲旭本人は、呆けていた。放心していた、と言ってもいい。
この男が分からない。鶴町伏木蔵という男が分からない。分からないことばかりだが、本当の本当に、久しぶりにこの男が分からない。
村雲旭は、壊れてしまったかのように"分からない"と、それだけを考える。
だけど幾ばくか頭が回ってしまう彼女は、別のことも考える余裕が少しだけあったのだ。
そういえば、最後の情事の際。鶴町伏木蔵は、執拗に鎖骨や、肋骨のあたりを触ってきたな、と。
あれは形を確かめていたのか。その形に満足して、美しいと思っていたのか、と。
そう思ってしまうと、今更ながら妙に気恥ずかしくなり、そしてやはり、気味も悪くなる。ぞっと、ひとつ鳥肌が立つが、女の顔は青くはない。むしろ、熱を持つ。
「…………まあ、私が死んだ後なら。勝手にすれば」
捨て台詞のようであり、本心でもあるそれは、鶴町伏木蔵にどう届いたのか、彼は小さく笑った。
骨まで愛す、とはときたま聞くが、骨だけを愛でる、というのは一体どういうつもりなのか。村雲旭は、未だ内心思いを巡らせる。
しかし、今更であると。彼女は笑う。彼女も笑う。鶴町伏木蔵とはきっと違う意味。彼女は自嘲していた。
この男は己に多少の愛着を見せつつも、けして愛してはいない。恋焦がれてはいない。
それならば骨だけでも気に入られたことは、多少なりとも喜ぶべきことなのではないだろうか。
自分が死んだ後も、自分の一部がこの男の手元に置かれることはきっと、きっとそう、悪くはない。
そんな風に思ってしまう自分こそが、一番趣味が悪いのだと。村雲旭は暗がりのなか、そっと笑ったのだった。